他人の無知などに寛大でいること

こんにちは!ふくカエルです。
「第1章 人とのかかわりについて」
「No.36 他人に寛大でいる」
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
お断り
この記事には、いっぱい「無知」という言葉が出てきます。不快に思われる方がいらっしゃるかもしれません。
ここでの「無知」は、バルタザール・グラシアン先生の本に出てくるワードです。意図的なものは含まれていません。
ただ、単純に、「知識が不足している人」「知恵を知らない人」という意味で使っています。悪しからず、ご了承ください。
ふくカエル
突っ込みたくなる!
どうしても、ウチは(訳:わたくしは)、
無性に、突っ込みたくなる!
ときがあります。
どんなときに突っ込みたくなるかと言うと、相手が、
- めっさボケてる

- めっさ要領が悪い
- 何にも知らんとトンチンカンなことを言う
ことが分かるとムラムラするのです。
「それは、〇〇や!」
「そんなんも、知らんのかい!」
このバカタレが…くそっ!
とついつい言いたくなるのです。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
そやけどです。
どうして、こうも他人に突っ込みたくなるのでしょうか?
なぜ、他人に突っ込みたくなるのかな?
英知の味を知ってしまったから
他人に寛大でいる
利口な人はつまらない傾向に陥りがちだ。知恵がつけばつくほど、無知な人に対して我慢ができなくなっていく。いったん英知の味をおぼえると、知の不足に満足しがたくなるのだ。
バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」より引用
なぜ、他人に突っ込みたくなるのかというと、「英知の味」を知ってしまったからです。
「英知の味」とは、知識や知恵がつくことで得られる「極上の快感」のことです。
こんな要領のええ技を
知ってしまった!
こんな知恵がついてしまったで!
めっさ、ラッキーやん!
という興奮や快感です。
不満が出てくるから
それにです。
他人の無知や要領の悪さに不満が出てくるからです。
知識や知恵をたくさん身につくと
- あれも知らんのかい?
- これも知らんのかい?
と他人の「無知や要領の悪さ」に気づくことが多くなります。
それらがとても目につくので、気になって仕方がなくなるのです。
そして、
終いには我慢できなくなって
イライラするねん。
という欲求不満になります。
ふくカエル
この副作用が過ぎると、信じられないような高慢な態度で接するようになります。
えっつ?
こんなことも知らんの?
信じられへんわぁ?
アホちゃう?
このウチ様が、教えてあげるわ!
という「あほんだら病」が発症するのです。
ふくネコ
ぶっちゃけると、このような欲求不満の「あほんだら病」の発症は、
- 他人の無知や要領の悪さを許せなくなる「うぬぼれの味」
- 他人を見下したくなる「優越感の味」

という禁断の味も知ってしまったからやと思います。
ふくカエル
身近な例は「鍋奉行」ねっ!
英知の味を知ってしまったがために、面倒くさくなった身近な例としては「鍋奉行」です。
ああじゃ、こうじゃと
しゃしゃり出てきます。
他人の鍋に関する知識のなさに我慢できません。
昨今、あちこちで「鍋奉行」が出没しているのは、この「英知の味」を知ってしまったからです。
ふくカエル
ふくネコ
鍋奉行とは鍋料理で鍋を囲んだとき、特に頼まれてもいないのに仕切る人のこと言います。
鍋奉行には様々なタイプがありますが、大きく分けると、
- 自分で全て作ってしまうタイプ
- 口でいろいろと指示や解説をするタイプ
です。いずれにせよ、非常に面倒くさい奴になるのです。
【出典】日本語俗語辞書
それに、ちょっと面倒なことが起きる
実は、「英知の味」を知ってしまうと、ちょっと面倒なことが起きます。
不協和音が発生する
人間関係において不協和音が発生するのです。
ふくカエル
心地よい空間が不安定で居心地の悪い空間になります。
小競り合いがぼっ発する
たとえば、我慢できずにしゃしゃり出たり、他人に意見やアドバイスしたばっかりに、小競り合いがぼっ発するのです。
これは、余計な意見やアドバイスが、相手によってはえげつないほど嫌味に聞こえるからです。
なんやねん、
さっきから黙って聞いてたら
嫌味か?バカにしとんか?
ってな感じになる。
ケンカする気がないのに誤解されるのは、精神衛生上に悪いです。
精神衛生上においては、
何と言っても円滑で穏やかな人間関係をキープするに越したことがないです。
じゃあ、どうすればいいのかな?
これです!
しかし、寛大さは重要な美徳であり、どのように愚かなことでも辛抱できるように訓練しなくてはならない。
他人の無知や要領の悪さには、寛大でいる
ことです。
なんやこんなことも知らんのか?
信じられへんで。
と他人を見下したり、イライラしたり、思い上がったり、得意になったりすることを止めます。
具体的には、どうするといいのかな?
おごりを自覚する
まず、自分のおごりを自覚します。
他の人よりもちょっとぐらい知識や知恵を得たからと言って、「英知の味」を知ったからと言って、
- 人より偉くなるのでない
- 人を見下してもいいのではない
- 得意になり調子に乗ってもいいのではない
ことを肝に銘じます。
耐える訓練する
次に、他人の無知や要領の悪さに耐える、辛抱できる訓練をします。
たとえば
- 手際が悪くて鈍い、ちゃっちゃっとできない
- 計画性がない、段取りが悪い
- 問題の整理や取捨択一ができない
- ものごとの優先順位がつけれない
- とにかくムダが多い
- 理解するポイントがズレている
- 発言が首尾一貫してない
- 言葉と行動がバラバラで一致してない
- 話に説得力がない
- 嘘ついているのがバレバレ
- とにかくトンチンカンでおかしなことを言っている
といったところを見て見ぬフリができるよう訓練します。
そして、他人がやっていることにいちいち不満が出て
- いちいち気にしない
- 横から口を挟まない
- しゃしゃり出ない
ように訓練するのです。
たとえ、
- どんなに要領のいい方法
- 簡単に出来る知識や知恵
- 合理的に解決できる知識や知恵
- 早く手短に出来る方法
など、どんなに知識や知恵を知っていても、
相手から積極的に請われないかぎり、実害が及んでいないかぎり、余計なおせっかいをかかないようにします。
ふくカエル
ふくネコ
人間関係の上では、
しゃしゃり出て
言わないようにするねん。
これって、ほんまに大事。
相手がアドバイスを欲してないかぎり、
実害が及んでいないかぎり、
波風立てないようにするのが賢いねん。
これも、処世術(知恵)やねん。
そうすると、どうなるのかな?
人間関係が平和になる
他人の無知や欠点に目をつぶることができると、人間関係が平和で穏やかなものになります。
無知や要領の悪さを指摘したがために、しこりや小競り合いなどが生まれるのを防ぐことができるのです。
大変なことに気づく
周りの人の欠点に我慢できない人は、たいてい自分自身にも我慢できないものだ。
また、大変なことに気づきます。
それは、他人に我慢できない人間は、自分に我慢できなくなることです。
他人に厳しく接すのであれば、自分にも厳しく接しないと矛盾するからです。
これでは、どんどん自分の首を絞めることになり息苦しくなります。
自分で自分を追い込み、ますます精神的にしんどくなってきます。
自分で自分の逃げ道を失くすから、
どんどん精神的に病んでくるねん。

実は、他人に寛大でいることは、自分にも寛大でいられることなのです。
このような面もあることを知っておくと、他人の無知や要領の悪さにますます寛大になれます。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第1章 人とのかかわりあいについて」
「No.36 他人に寛大でいる」
になっています。
お持ちの本とあわせてご覧いただけると嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな知恵」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 他人の無知や要領の悪さには寛大でいることが大切です。
- 他人の無知や要領の悪さが目立つのは「英知の味」を知ってしまったからです。
- 「英知の味」を知ると、他人の他人の無知や欠点や要領の悪さに不満が出ます。
- どんなに無知でも要領が悪くても辛抱できる訓練をすることが大事です。
- なぜなら、人間関係に不協和音が発生しないようにするため、円滑で穏やかな人間関係を構築するためには必要だからです。

ふくカエルでした。
なお、バル先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『賢人の知恵』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。


