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自分のことは語らないほうがいい理由
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。

自分のことをしゃべり散らかす!
自分のことを無性にしゃべり散らかしたくなるときありませんか?
聞かれてもないのに、
- 夢中になっていること
- おのろけ
- 特技
- 自慢
などをべらべらとしゃべり散らかすのです。
ほんま、しゃべり出したら
止まらへんようになるねん。
ふくカエル
ふくネコ
そうなのですが、
あまり、自分のことをベラベラしゃべり散らかすのはよくないようです。
アカンみたいやで!
なぜ、ダメなのかな?
聞き手の機嫌を損ねるから
まず、聞き手(相手)の機嫌を損ねるからです。
ふくカエル
自分の熱狂的な支持者(ファン)なら、最後まで興味津々に聞いてくれるかもしれません。
でも、たいがいの人は自分などに興味がない人ので、最後まで聞くのが苦痛になるからです。
ほんま、もうええわ。
ほんま、堪忍して!
と思っているハズなのです。
自画自賛か、自己批判になるから
自分のことは語らない
自分のことを話すとなると、自画自賛か自己批判かのどちらかになってしまう。ほめれば自慢になり、けなせば気の弱い証拠となる。
バルタザール・グラシアン先生「賢人の知恵」より引用
それにです!
自分のことをベラベラしゃべり散らかすと、
- 自画自賛になる
- 自己批判になる
どちらか一方に必ずなってしまうからからです。
自分のことを熱っぽく語ると…
たとえばです。
自分のことをあれこれ熱っぽく語ると聞き手(相手)にはいやらしく見えてしまうのです。
こんなことしてるねん。
こんなことで成功してん!
今、こんなプロジェクトに入ってるねん。
こんな成果を上げて、
年収がいくらアップしてん!
なんて少々熱が入りすぎてしまうと、
- 自慢しいかよ?
- ええカッコしいかよ?
- 鼻につくなあ
- うぬぼれが強いなあ
という印象を聞き手(相手)に与えるのです。
そして、挙句の果てに、
なんや、この人、
めっさ、うっとしいなあ!
とヒンシュクを買うハメになります。
逆に、自分を謙遜しすぎて語ると…
以上とは逆に、自分ことを謙遜しすぎて語ると聞き手(相手)にはとてもしょぼく見えてしまうのです。
ぼくなんて、全然です!
いつもドキドキしてやってます。
いやいや、
まだまだ一人ではできないです。
なんてちょっと謙遜しすぎると、
- ほんまにアカンのかよ?
- 後ろ向きなやつ
- 自信のないやつ
- 出来ないやつ
- 弱虫、根性がないのかよ?
- 優柔不断やなあ
という印象を聞き手(相手)に与えて、
挙句の果てに、
うわ~、
こんな後ろ向きな奴には
なりたくないわ!
とこれまたヒンシュクを買ってしまうのです。
印象は一度持つと、変えられないから
それにです。
このような印象を一度でも持ってしまうと、人は簡単に印象を変えることができないからです。
とくに不快感とか嫌悪感は一度持つと、なかなか払拭できないです。
ふくカエル
ふくネコ
その場の雰囲気が悪くなるから
そして何よりも、その場の雰囲気が非常に悪くなるからです。
ふくカエル
一旦その場の雰囲気が気まずくなると、なかなか元通りにならないです。
聞き手(相手)に不信感を持たれれば、語れば語るほど不信感が深まり、誤解は解けません。
不信感どころか嫌悪感が増えていくのです。
ふくネコ
もう、聞きたくないわ!となる。
じゃあ、どうすればいいのかな?
個人的なことは語らない
まず、聞き手(相手)から求められてもいないに、個人的なことをベラベラ語らないようにします。
個人的なことは言わない!
つまるところ
これが一番やで!と思う。
- 自分を誉めれば、自慢と誤解され、ヒンシュクを買う
- 自分を謙遜しすぎると弱腰と誤解され、これまたヒンシュクを買う
以上の2点を頭の中に叩き込んで行動します。
親しき中にも礼儀ありだと考える
普段の会話でもビジネスの場面でも、個人的なことを口にするのは避けること。
基本は「親しき中にも礼儀ありだ」と考えます。
どんなに親しい中であっても必要最低限な礼儀をわきまえます。
個人的なこと(プライベートなこと)は、後々でお互いの人間関係を続けいく上で「しこり」になるかもしれないからです。
基本は「親しき中にも礼儀あり」で十分やと思うのです。
よそよそしいかもしれへんけど、
それがお互いを束縛しないですむと思います。
あたしも最初は違和感があってんけど、
そこを敢えてお互いに一線を引いてみると、
特別な場合以外は干渉しあわない関係性が、
一番自由で平和であることに気がついたのです。
- 自分のことを全て知って欲しい
- 相手のことも全部知りたい
という気持ちは多分に自己中心的なものです。
このようなものは、やっぱり良好な会話や人間関係を築く上でふさわしくない場面が多いような気がします。
なので、割り切る
なので、個人的なこと(プライベートなこと)は割り切って、ごく限られた特殊な場合のみにすることにします。
あらかじめ割り切っておくと下手に迷わなくてすみます。
個人的な話をしなければ続かないような人間関係は、
遅かれ早かれいずれは破綻するものだと考えます。
少々、薄情なように見えますが、
このような考え方を取り入れてみるとずい分と楽になります。
この考え(知恵)は、こんな場合にも応用できる!
自分のことを語たらない知恵は、こんな場合に応用して考えることができます。
たとえば、こんな場合!
たとえば、
大勢の前で話すとき
です。
聞く耳が多いということは、それだけ誤解される確率も高いからです。
その場にいる人を話題にしない
まず、「その場にいる人」を決して話題にしないことです。
これは、
本当に重要な
ポイントです。
なぜなら、
- お世辞になる
- 批判になる
どちらか一方にならざるを得ないからです。
度を過ぎて誉めると…
なぜなら、その場にいる人を必要以上に誉めすぎてしまうと、
- みっともない「ゴマすり」
- 痛い「お世辞」
と周りから誤解されるからです。
あの人、なんやお世辞臭いなあ!
媚びへつらって、
みっともないで。
とヒンシュクを買います。
逆に、冷静に評価しすぎると…
以上とは逆に、その場にいる人を冷静に評価しすぎると、
- あてつけの皮肉
- 嫉妬からの批判
と周りから誤解されるからです。
なんや、本人がいるところで
敵対心むき出しになって
心が寂しいやつ。
とこれまたヒンシュクを買います。
自分のことを語らないと、どうなるのかな?
会話がこじれない
まず、自分のことを語らないようにすると会話がこじれなくてすみます。
聞き手(相手)に余分な情報を与えて混乱させることがなくなるからです。
悪い印象を持たれなくすむ
また、自分のことを語りすぎて悪い印象を持たれなくてすみます。
自画自賛や自己批判の印象を与えて、
あれ?この人
ちょっとおかしいのかも?
という違和感や気まずさを感じさせることがなくなるのがいいです。
ふくカエル
ふくネコ
知恵のない人、知恵のある人の違い
知恵のない人
自分のことを語りまくります。
たいていは自慢話になってしまいます。
相手が居心地を悪くしていることにも気づきません。
会話を楽しむどころが、自分の情報を相手に無理やり押し付けることとなり、
お互いの会話がどんどん苦痛なものにしていきます。
知恵のある人
自分のことを語ると、どういう弊害が出てくるのかを熟知しています。
なるべく自分のことを語ることを避けます。
むしろ、相手の会話に耳を傾けることに徹し、相手がどういう人物なのかの情報を集めるようにします。



同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第3章 会話について」
「No.88 自分のことは語らない」
になっています。
お持ちの本とあわせてご覧いただけると嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな知恵」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。

まとめてみたkerokero
- 自分のことを語らないようにするのがいいです。
- たいては、自画自賛か自己批判のどちらかになってしまうからです。
- 話す自分も聞いてる相手も、居心地が悪いものになります。
- 会話を大切にするためにも、自分のことは語らないようにしたほうがいいのです。
ふくカエルでした。
なお、バル先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『賢人の知恵』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。