【知性】世間が認めているものにケチをつけない
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
ケチをつけたくなる!
テレビを観ていると、たまに
何でこんなこと選ぶん?
何でこんな人を当選させる?
と思うことがあります。
そして、無性にケチをつけたくなる衝動にかられるのです。
ふくカエル
最近、我慢できなくて呟いたのがこれ!
ウチは、今回のことで、郵便投票には他人が介在できる穴がいくらでもあることを勉強した(いや、分かり切っていたことなのかもしれない)。これが全世界を動かすリーダーを決める投票だと思うと心底震える。
— ふくカエル@猫さん好き好き (@Fuku_78) November 5, 2020
アメリカ大統領の選挙(米大統領2020)における郵便投票についてケチをつけました。
郵便投票は必ず不正などの不信感が生じるし、不信感が増幅すれば投票の信頼性が大きく揺らぐから、やがて大きな問題に発展することがウチ(訳:わたくし)でも理解できたからやねん。
そやけどです!
ケチをつけたらアカンのです!
なぜ、ケチをつけるとダメなの?
世間が認めていることにけちをつけない
人がありがたがっているものに、ただひとりけちをつけると、こちらの判断力やセンスが疑われるのだ。
人が選んだものの良さがわからなくても隠しておき、あからさまに批判しないこと
バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」より引用
判断力やセンスを疑われるから
まず、世の中の多くの人が認めているものにケチをつけると、判断力やセンスが疑われるからです。
物事の微妙な点に配慮できない無頓着さがバレてしまうのです。
気づけない「美点」があるから
たとえば、自分では未だに気づけない「美点」があるかもしれないからです。
ひょっとしたら、自分だけが気づけていないかもしれません。
怪しまれるから
次に、怪しまれるからです。
世間一般が認めているものに自分一人だけが異論を唱えるのはたいそう滑稽で異常に見えてしまいます。
何、あいつ?
なんでみんなが賛同してるのに
ごねて、いちゃもんつけるねん?

と怪しまれます。
馬鹿にされるから
それにです。
一人で異論を唱えたけれども、それが間違っていた場合には、多くの人から非難されバカにされるからです。
あいつ、
みんなが認めてることに
わざわざ反論して、間違ってやんの!
アホやで~~。めっさ笑けるで。
とバカにされます。
じゃあ、どうすればいいのかな?
分からなくても隠しておく
まずは、どんなに良さが理解できなくても隠しておきます。
あからさまに非難しないこと
次に、あからさまに非難しないことです。
どんなにケチをつけたくなっても我慢します。
代わりに次のように思う
誤った選択は無知だと思う
もし、何度考えても世間のみんなが誤った選択をしていら、
未だに間違いに気づいていないか、全くの無知であるからだと思うようにします。
そんなに問題があるシステムだ
と知らないから選択した!
知ってたら選択しなかった!
ということもあると判断するねん。
価値があるからだと思う
また、世間のみんながあえて誤った選択をよしとするのなら、
それなりの価値があるからだと思うようにします。
はたから見たらすごく危険な行為やけど
昔から続いている風習やから
価値があるのやなと理解するのです。
はい。
願望があるからだと思う
あるいは、世間のみんなが選択したものが、実際にはどんなに価値がないものであっても、
そこには「そうであってほしい!」という願望があるからだと思うようにします。
たとえ、どんなに見ても
ただの石にしか見えなくても
神が宿る石だと願ってるのなら
ケチをつけないほうが
センスがあるのです。はい。
多くの人がありがたがっているものにケチをつけることはセンスがないと思います。
そうすると、どうなるのかな?
感情的にならずにすむ
世間が認めているものにケチをつけないというスタンスをとると、必要以上にアラを見つけて感情的にならずにすみます。
自分の早合点に気づき修正できる
また、自分の偏見や先入観で早合点に気づいても、慌てることなく人知れず修正できます。
無用な非難や評価を回避できる
そして、ケチをつけないようにスタンスをとっていると、世間からの無用な非難や低評価を回避することができます。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第4章 知性について」
「No.135 世間が認めているものにケチをつけない」
になっています。
お持ちの本とあわせてご覧いただけると嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな知恵」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 世間が認めているものにケチをつけると判断力やセンスがないと疑われてしまいます。
 - ひょっっとしたら自分が気づくことができない「美点」があるかもしれないからです。
 - 価値が分からなくても隠しておき、あからさまにケチをつけないようにします。
 - そうすれば、必要以上に感情的にならずにすむし、自分の早合点に気づいても人知れず修正することができます。そして無用な世間からの非難や評価を回避できます。
 
内容をちゃんと理解できれば、ケチをつけることがなくなると思うのです。
安易に自分の偏見や先入観でケチをつけていると、最初は周囲からは面白がられます。
でも、あとからこの人は背後にある微妙な事情に配慮できないセンスのない奴だと評価されます。

先のアメリカの郵便投票の例で言えば、
不信感がぬぐえないシステムであっても導入せざるを得ない事情があるのかもしれません。
それにです。ウチは日本人です。
アメリカの大統領において選挙権のない部外者です。
そやから、アメリカの選挙にケチをつけるのがそもそも余計なお世話なんやと思います。
はい。ケチつけてごめんなさい。

ふくカエルでした。
なお、バル先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『賢人の知恵』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。
                

