【人生】愚かな生き方を続けない
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
あれ?これ間違えてる?
その時は「これが正しい道や!」と確信して進んでみたけど、
最近「なんだか?間違ってるのとちゃうか?」と思うことがないですか?
たとえば、
- 進路
- 職業
- 趣味
- 友人
- 交際相手
- 健康法
- ダイエット法
などで起こります。
この進路でOKやと思ってんけど
なんか違うよう気がする、だの
この職業が適していると思ってんけど
なんか違うような気がする、だの
このダイエット法が効果があると
思ってんけど、
自分には効果がない、だのです。
そやけど、こんなときどうしたらええのですか?
こうしたらええのです!
これです!
愚かな生き方を続けない
間違った判断をしたからといって、それを続けなければいけない義務は全然ないのだから。ばかなふるまいに関しては一貫性などないほうがいいにきまっている。
バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」より引用
「あれ? どうやら間違えているかも?」と気づいたら、
愚かな生き方をそれ以上続けない
ことです。
間違いに気づいたら、その時点ですぐに愚かな生き方をきっぱりと止めます。
でも、なぜ、人は愚かな生き方を続けてしまうのかな?
意固地になるから
人は、意固地になるからです。
つまらないことに意地を張って頑固になるのです。
いったん踏み出したら、どんなに間違えた道であっても突き進まなければいけないと思い込んでしまうのです。
自分に二言はない
突き進むべしや!
とコチコチの頭になって、柔軟な発想ができなくなるのです。
軽率だ思っているから
また、自分の間違いを認めることは、世間から軽率だと見られると思っているからです。
やっぱり、間違ってたやん!
あはは!アホやで。
と思われることをひどく嫌がります。
今さら間違いを認めて途中でやめることは非常に恥ずかしくて、できないのです。
ついつい見て見ぬふりをするから
なので、自分の間違いに気づいていながら、ついつい見て見ぬふりをするからです。
ふくカエル
そうやって、どうにか自分の行動を正当化しようとしてしまうのです。
じゃあ、なぜ、きっぱりと止めるといいのかな?
バカげたことだから
間違いに気づきながら、気づかぬフリをすることはバカげた行為だからです。
バカげた行為を最後までやり遂げても、バカにバカが重なるだけでまったくムダになります。
バカな行為に一貫性を求めても、バカはバカにしかならへんのです。
一貫してバカなことを続けていると、
そのうち悪運を引き寄せて、とんでもないことになります。
バカな行為には失敗がつきものだからです。
それにです。
どこからみても、「一貫してバカなやつ!」と見られるほうが、相当恥ずかしいし、ヤバイです。
ふくネコ
間違いを続ける義務はないから
それにです。
間違いを続ける義務なんてどこにもないからです。
実は、目を凝らしてみると、
世の中には、間違いを続ける義務を他人に押し付けてくる輩がいます。
その人に悪意がなければ、思いこみや偏見が要因やと思います。
そういう人物が現れたら要注意です。はい。
じゃあ、どうすればいいのかな?
正しいフリをしない
まず、自分の間違いに気づいたら正しいフリをしないことです。
正当化するのはアウト
自分の過ちを認める
次に、勇気を振り絞って自分の過ちを認めます。
この時に必要になる勇気ほど、人生において大切なものはないです。
すぐに軌道修正する
自分の間違いを認めたなら、すぐに軌道修正します。
どのように軌道修正すれば正しい道を探れるかに全力投入します。
ふくカエル
ふくネコ
バカにされても気にしない
どんなに周囲からバカにされようが気にしないようにします。
- 周囲からバカにされる
- 恥ずかしい
なんてへったくれもないです。
ふくカエル
むしろ、間違いに気づきながらやり続けるほうが、恥ずかしいです。
このことに気づくのが、自分の人生を大事にする秘訣やと思います。
そうすると、どうなるのかな?
愚かな生き方をせずにすむ
- 間違った選択だった
- 間違った道だった
- 愚かな行為だった
と気づき、
速攻でやめて軌道修正をすると、それ以上、愚かな生き方をしないですみます。
一番賢い方法で、失敗しない方法
また、この軌道修正する方法が一番賢い方法で、かつ失敗を避ける方法であることに気づきます。
間違ったプライドを捨てることができる
さらに、間違ったプライドを捨てることができます。
間違ったプライドを捨てることができると、どんなに周囲から非難されても、しれっとすることができます。
プライドが傷つけられたとも感じません。
むしろ、
間違いを認めて軌道修正する姿勢を評価できずに、
他人の間違いをとがめて、非難することのほうがおかしい!
と考えることができます。
ふくネコ
それでも、笑う人が出てきたら…
間違いを犯さない人間なんてこの世にいません。
間違いを気づいていながらゴマかし続ける態度よりも、
間違いを潔く認めて改める態度のほうが勇気がいり、また尊い行為です。
もし、非難する輩が出てきたら、この尊い行為を理解できない浅はかな人間なんだと思って、割り切るのが賢いと思います。
何度も言いますが、「間違いを認めて、すぐに軌道修正する行為」は本当に尊い行為なのです。
このことに気づけない人物は相手にしないほうが、今後の為にもいいと思います。
きっぱりと見っ切って
ふくカエル
ふくネコ
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第8章 人生について」
「No.231.愚かな生き方を続けない
」
になっています。
お持ちの本とあわせてご覧いただけると嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな知恵」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
知恵のない人、知恵のある人の違い
知恵のない人
自分の愚かな生き方に気づいても、続けてしまいます。
頑固になったり、バツが悪いので、自分を正当化したりします。
ふくカエル
知恵のある人
自分の愚かな生き方に気づいたら、すぐにやめて軌道修正します。
正しい生き方を模索します。どんなに人から馬鹿にされても動じません。
長い目で見ると、自分の歩む道は試行錯誤の上に成り立っている「正しい道」だと確信しているからです。
ふくネコ
まとめてみたkerokero
- 愚かな生き方を続けないことです。
- 間違いに気づいたらすぐにやめることです。
- 間違いを続ける義務はありません。
- 間違いに一貫性は要らないのです。
- 間違いを認めて軌道修正する態度は尊い態度です。
- 間違ったプライドは捨てて正解なのです。
「こりゃ、間違えたな!」と思ったら、そこで潔く方向転換するのが賢いです。
間違いを続ける義務は誰にもないです。
勇気を出して、さっさと間違いを認めて、さっさとバカな振舞いをやめる!これが一番やと思います。
これは「史上最強の知恵」でござる。はい。
ふくカエルでした。
なお、バル先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『賢人の知恵』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。