【駆け引き】自分が少数派の意見だったときに、すべきこと
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
少数派の意見
ウチ(訳:わたくし)は、たいがいは多数派に迎合する根性なしですが、唯一少数派に属する意見があります。
これです。
「小さいおっさん(ジャージ来てる妖精のような小人)」はおるんとちゃうか?
でも、たいがい多数派からみそくそ言われます。
あほちゃうか?
そんなもんおらんやろ?
ふくカエル
ふくネコ
こういうとき、どうすればいい?
そやけどです。
このように少数派の意見を持っている自分が多数派の意見に直面したとき、
一体、どうすればいいのでしょうか?
「小人のおっさん」このような他愛もない話であれば問題ないのですが、世の中にはそうはいかない問題がもあります。
たとえば
- 政治
- 経済
- 法律
- 行政
- 医療
- 思想
- 宗教
- 教育
- 道徳
- 良心
あげだしたらキリがないです。
このようなジャンルにおいて少数派だった場合どうすればいいのか?
ちょっと迷いませんか?
そんなときに、したほうがいいこととはこれ!
これです!
多数派の意見にさからわない
川の流れにさからって泳ごうとするのは危険である。流れを変えようとしても無駄だ。
バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」より引用
多数派の意見に無理して逆らわず、尊重する!
ことです。
なぜ、無理して逆らわないほうがいいのかな?
無駄だから
まず、多数派の意見に逆らって、自分ひとりで理解を求めても無駄だからです。
「数」には勝てないのです。
理解されるどころか、バカにされて潰されるのがオチです。
こいつ笑ける、頭おかしんじゃない?と言われる。
多数派の理解をえるために、少数派の意見を主張してチャレンジする価値があるのは、
相当影響力がある偉人や賢人
ぐらいです。
ふくカエル
とは言っても、
社会的影響力が相当ある人でさえも
チャンレンジして返り血を浴びることもあるのです。
それほど「数」の力は大きいのです。
危険だから
川の流れにさからって泳ごうとするのは危険である。
次に、多数派の意見に逆らって、自分ひとりで少数派の意見を主張することは危険だからです。
攻撃を仕掛けていると勘違いされる可能性があります。
それに、多数派の中には過激な考えを抱く者がいるかもしれません。
そのような者たちに勘違いされれば、自分の身が危険が及びかねないです。
ふくカエル
ふくネコ
必要だから
少数派が、多数派の意見に逆らわずに尊重することは、
大勢の集団生活の中で、それぞれが平和で楽しく過ごすためには必要だからです。
多数の意見に従って物事を決めていかないと、あらゆる集団の意志決定や行動は前に進まないからです。
ふくカエル
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
信じられている事実を語る
客観的事実を述べるにしても、大衆が絵空事を受け入れるのであれば、その絵空事を語るべきだ。
まず、事実を語るときは、世間一般で信じられている事実を語ります。
そこにどれほど誇張した脚色などがあっても、一応「客観的な事実」として認められているのであれば、その事実ベースにおいて喋ります。
たとえば目の前に起きた災害が人為的ミスだと自分では見抜けても、
世間一般が自然災害だとするならば、
自然災害としての観点から考えるようにします。
ここは、
ほんまに見たら分かるやん!
人為的ミスやで!
違和感を感じるわ~!
と思っても我慢してみるねん。
自分の意見を押し付けない
次に、自分の意見を多数派に押し付けないようにします。
逆に押し付けることは道理に反すると理解します。
どうしても自分の意見を主張したいときは、
自分の意見を主張する場を設けるために、
しかるべき手続きをとるようにします。
黙っておく
または、自分の意見を押し付ける代わりに黙っておきます。
ここは「沈黙は金、雄弁は銀」でいきます。
少数派サロンをつくる
そして、少数派からつくるサロンをつくります。
少数派意見を持った人たちと交流を深め、「少数派の意見」について知的な会話を楽しみます。
そうすると、どうなるのかな?
少数派の意見を守れる
多数派の意見に逆らわないように努めると、自分の少数派の意見を守ることができます。
多数派からの圧力や迫害などを回避することができるからです。
主張(表現)の場を保てる
また、多数派の意見を尊重することで、少数派の意見を主張(表現)する場を保てることができます。
自分の意見をブラシュアップできる
さらに、多数派の意見に触れることで自分の意見もブラシュアップできます。
自分とは違う意見の立場を知ることは、その立場に立って自分の視野を広げるチャンスにつながります。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第2章 駆け引きについて」
「No.60 多数派の意見にさからわない」
になっています。
お持ちの本とあわせてご覧いただけると嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな知恵」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 自分が少数派の意見だったときでも、多数派の意見には逆らないようにします。
- 多数派の数に負けるからです。ある程度妥協しないとダメだからです。
- どんなに馬鹿げていても世間一般に信じられている事実をベースに考えます。
- 自分の意見は押し付けず、黙っておき、別に少数派のサロンをつくります。
- 自分の少数派の意見を守れるし、主張する場を保てることができます。
集団生活の中でみんなが平和に楽しく過ごすためには、多数派の意見に従ったほうがいい場面もあります。
これは、それぞれの人間が「自分の自由」をある程度確保しながら、
「集団としての意志決定」を可能にして、集団の中で生きやすくする環境を整えるためのため「大きな知恵」の一つです。
ふくカエル
ふくネコ
そして、別の視点から見てみると、
このことは、選挙など投票を通じて、多数派の意見と少数派の意見のバランスをとりながら機能していく、
「民主主義」という社会の在り方そのものだと思います。
少数派の意見も尊重して聞きつつ、多数派の意見の賛同を得ていくのが健全な民主主義のシステムやと思います。
今、コロナウイルスという感染症の問題を通じて、世界のあちこちで「権威主義」と「民主主義」の問題が議論されてます。
真面目な話、400年も前のバルタザール・グラシアン先生「賢人の知恵」は、
本当に奥深い知恵を
教えてくれているんや!とほんまに思います。
ふくカエルでした。
なお、バル先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『賢人の知恵』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。