いつまでも愛さないこと、いつまでも憎まないこと
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
愛憎劇場
愛憎劇場というものは、観客の立場で見るとえげつなく面白いです。
作り話や他人のすったもんだは、自分自身のことではないので、「たいしたことない」と見くびるのです。
そやけどです。
これがいったん我が身に降りかかった劇場になると、えげつなく苦しみます。
ふくカエル
ふくネコ
こんなことにならないようにするには、どうしたらいいのか悩みます。
でも、ご安心ください!
バルタザール・グラシアン先生の知恵があるのです。はい。
知恵とは、これ!
これです!
愛しすぎず、憎みすぎない
いつまでも愛さないこと、そしていつまでも憎まないこと。今日の友が明日は一番の敵になるかもしれない。このことを理解しておけば心の準備もできるはずだ。
バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」より引用
いつまでも愛さないこと
いつまでも憎まないこと
です。
愛憎劇場を回避するには、
愛しすぎる
憎しみすぎる
ことを慎むことです。
そうすれば、愛や恋や裏切りなど「駆け引き」が、複雑に絡まることはありません。
なぜ、愛しすぎるとダメなのかな?
いつ裏切るか分からないから
まず、相手が自分をいつ裏切るか分からないからです。
一瞬で、醜い憎しみ変わるから
とことん愛していた人から裏切られると、一瞬で醜い憎しみに変わるからです。
愛と憎しみはコインのように表裏一体だからです。
なので、指でちょっと弾けば、コインの裏表が変わるように、愛も憎しみにすぐに変わります。
とくに、愛しすぎていると、ちょっとしたことですぐに憎しみに変わってしまう傾向が強いようです。
一番の敵になるから
そして、あんなに愛していた相手が、一気にこの世で一番の敵になるからです。
なぜ、憎しみすぎるとダメなのかな?
精神が蝕むから
次に、憎しみすぎると、精神が蝕まれる(むしばまれる)からです。
どんどん病んでいきます。
考えることは相手への復讐のみです。
どんな風に痛めつけるのが一番残酷なのかを考えてしまうのです。
どんどんまともな判断ができなくなり、狂気には走ります。
じゃあ、どうすればいいのかな?
愛しすぎる場合
執着しすぎている自分を見つめる
相手に執着しすぎている自分を客観視します。
裏切りの可能性を常に考えておく
次に、常に相手からの裏切りの可能性を考えておきます。
いつかは裏切られることもある!
絶対にないとは言えないねん。
と、裏切りの可能性を考えられるようになると、自然と愛しすぎるのをやめるようになれます。
「今日の友が、明日の敵になる」ことが、人生には普通に起きていることを理解しておくことです。
「絶対にないとは言えない!」ことを理解することは、とても大事です。
覚悟する
次に、将来おきるかもしれない裏切りをあらかじめ覚悟をしておきます。
あらかじめ覚悟しておくと、実際に裏切られたときの心理的ショックが和らぎます。
見限る準備をしておく
また、実際に裏切らたときに、
ちゃんと相手を見限る
心の準備をしておきます。
見限るとは、これ以上相手からの愛情は望めないとあきらめて、関係を断つことです。
ふくカエル
ふくネコ
この見限る行為ですが、予想以上に大きなエネルギーを消耗します。
なので、あらかじめ心の準備をしておくことは大事なことです。
親子の関係なども、愛しすぎる典型な例です。
でも、ある一線を越えて互いに依存しすぎると、互いの未来のためにプラスになることが少ないようです。
たしかに、親子関係は、いつまでも大切にすべき絆です。
しかし、いずれはバラバラに生活することを想定して、心の準備をしておくことは大切だと思います。
これは、恋人同士や友人同士の場合も同じだと思います。
たしかに、互いに愛し合う関係がずっと長く続くことは素敵なことです。
でも如何せん、生きているといろいろな刺激があり、いろいろな出会いが待ち受けています。
お互いのプラスにならない関係になる可能性もあることをあらかじめ覚悟しておくことも大切だと思います。
そうだとしたら、いつ何時そういう風になっても、仕方がないと覚悟して、
「いつでも、きっぱりと見切りをつけられる」心の準備しておくのも大切やと思います。
また、このような覚悟と心の準備をして、恋人や友人を愛することも、また尊いことやと思います。
ふくカエル
ふくネコ
愛するということは、
いつでも相手を自由にさせることができる覚悟を持つ
ことに他らないことやと思います。
憎しみすぎている場合
相手を攻撃しない
まず、絶対に相手を攻撃しないことです。
どんなに裏切りに激怒しても、復讐や報復などを具体的に考えないようにします。
意識しない
次に、自分から湧きあがる憎しみを意識しないことです。
意識すれば意識するほど、憎しみはどんどん忘れなくなり、憎悪はさらに醜さを増します。
どうしても憎しみが頭から離れないときは、
5分間だけ、恨みつらみを紙に書きなぐります。
どんなにえげつない言葉でもOKです。
そして、それをシュレッダーにかけたら(焼却炉に捨ててもいいよ)、あとはもう何も考えないようにします。
全部忘れて、テキパキ動きます。
これを何回か繰り返すと、振り子が元に戻るように平常心になってくるのでお勧めです。
心の傷は、絶対に見ない
自分の受けた心の傷を見ないようにします。
正解を探さない
また、何が正解なのかを探さないことです。
正解は、
たいがいの人生が終わるときに、
初めて判明する
ものであることを悟ります。
結構、今裏切られたことが、後々考えると正解やったことが分かる場合もあります。
たとえば、次の出会いが素晴らしいもので、別れて正解やったということは普通にあるからです。
ふくカエル
ふくネコ
和解する望みを持つ
昨日は報復に燃えていたのが今日は苦悩となり、自分のした仕返しに悔やむことになるかもしれないからだ。
そして、和解する望みを持つようにします。
「雨降って地固まる」です。
もめごとなどが起きたあとは、かえって良い結果になったり、安定した状態になることも普通にあるからです。
お互いの譲歩の余裕を持ちます。
真価が出るものだと思う
とは言ってもです。
裏切り行為をされた時点で、和解の道を残すことを考えられるのは、本当に神様、仙人様ぐらいです。
裏切られたときは、「仲良くするなんて、とんでもない!」と思うのが普通です。
なので、ここは、
人は裏切りに出会ったときに、
その人の真価(本当の価値)が出るものだ!
と思って、自分を制します。
もしもの場合に備えて、品格を保つ
そして、もしもの場合に備えて自分の品格を保つようにしておきます。
ひょっとしたら、事態が好転する場合もあるかもしれないからです。
安易に仕返しするようなことは絶対に止めます。
短絡的な言動で自分の品格を落として、後から後悔しないようにします。
そうすると、どうなるのかな?
悔やむ日がなくなる
心の準備をしておくことで、相手を攻撃したり、報復に燃えたりすることがなくなるので、
苦悩したり、後悔したり、悔んだりすることがなくなります。
たしかに、その時点ではツライ作業ですが、感情をあらわにして大騒ぎしないことが大切なのです。
後々で「本当に大騒ぎしなくてよかった」と思える日が必ずやってきます。
「冷静だった自分」を心から誉めたたえたくなります。
駆け引きが複雑にならない
そして、愛や恋や憎しみなどで、人との駆け引きが複雑になることがなくなります。
知恵のない人、知恵のある人の違い
知恵のない人
知恵のない人は、恋人や友人を一身に愛します。愛しすぎて自分をも縛ります。
そして、裏切りに会うと自らの縛りを解けなくて、憎しみを倍増させます。
攻撃したり、報復に燃えたりした自分を悔やむことになります。
ふくカエル
知恵のある人
知恵のある人は、恋人や友人を愛しますが、愛しすぎません。
そして、愛によって自分を縛りません。
裏切りに対しても、あらかじめ心の準備をしておきます。
そして、自分を解放します。
また、報復を考えるのではなく、和解の道を残しておきます。
ふくネコ
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(バルタザール・グラシアン「賢人の知恵」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第2章 駆け引きについて」
「No.75 愛しすぎず、憎しみすぎない」
になっています。
お持ちの本とあわせてご覧いただけると嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな知恵」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 恋人であれ、友人であれ、愛しすぎないことです。
- 愛しすぎると相手への依存心がでてきます。
- 依存心で自分を縛り付けないことです。相手からの裏切り行為に、依存心で縛り付けた自分をほどけなくて、自暴自棄になります。
- 愛は憎しみと表裏一体です。ちょっとしたことで愛は裏切りに変わります。
- 裏切りにであっても、憎みすぎないことです。憎みすぎると報復に燃えたり、仕返しに怯えることに苦悩することになります。
- 裏切りにあったときは、どんなに忌々しく思っても、和解の道だけは、封鎖せず、残しておくのがいいです。
もしもです。
ちょっとでも相手がそばにいないと、精神的に不安定になるのなら、
「ちょっと愛しすぎているのかな?」と自分を疑ってみて欲しいです。
それが愛やねん!
というのは、偽物の愛です。妄想やと思います。
本当の愛は、相手を縛ることでも、依存することでも、執着することでもないのです。
本当の愛は、お互いの気持ちが「自由」になることやと思います。
たしかに、裏切られたときの
- 心理的ショック
- エネルギーの消耗
などは、凄まじいものがあります。
でも、それは、自分が相手から自立できなくて、相手に期待ばかりしていた代償でもあるのだと思うのです。
ウチがそうやったから、
よう分かるねん。
相手の行動ばかりを気にするのではなく、自分の行動を大切にしていると、たとえ裏切られたとしても、
そんな人間を愛してもうた
自分が悪いねん。
と思えば、変に取り乱すこともなく、自然に相手を見切ることができます。
しゃあないな。ウチが悪いねん。
もっと勉強するわ。
未来にまた出会いが
あるかも知れへんしな!
ふくネコ
ふくカエルでした。
なお、バル先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『賢人の知恵』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。