【自分自身】自分の強情さに気づいたら、心がけること
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
ここで、ちゃんと記しておかなければならないことを忘れていました。
強情な人には、先天的な原因、その他の疾患が原因の方もおられます。
これらの方を決して対象にしているのではないことをお伝えし、
もし不快に思われた方がいらっしゃいましたら、この場をかりてお詫び申し上げます。
ふくカエル
自称チーズ嫌いの摩訶不思議な世界
ウチ(訳:わたくし)の親戚に、ほんまに摩訶不思議な「自称チーズ嫌い」がおります。
ふくカエル
なにやら、チーズが出てくるたびに「あたしは、食べるとアレルギー反応が出るねん!」と毎回大騒ぎするのです。
そやけどな!
みんな、
聞いて欲しいねんよ!
宅配ピザを頼むやん?
ほしたらな、毎回な、
誰よりもやで…
宅配ピザを食べまくってるねん…
ふくカエル
ピザの上にのっている黄色いやつ!
あれって何って言うん?
チーズとちゃ~うのかい?しつこいようやけどな!
ピザって言うは、上にチーズが
のってるやつを
言うんとちゃうんか~い?
ふくネコ
もちろん、誰ひとりとして、決してピザの上にはチーズがたっぷり乗っているとは言いません。
みんなガンとして無表情です。
まるでモアイみたいやで…
そやけど、ウチはですね…
毎回、チーズたっぷりのピザをいっぱいほおばる彼女を見て、
果たして、どんな化学変化が彼女の身体の中で起きているのか?をじっくり観察することにしています。
ふくカエル
不思議なことに、彼女がアレルギー反応の起して重篤になったことは一度もありません(まあ、そのほうがええのやけど…)。
反応の気配すら見たこともないです。
でもです。
今でもです。ことあるごとに「わたしは、チーズアレルギーなの!」とのたまうのです。
もう、こんな奴
完全アウトやろ!アウトやで?そんなもん、ほんまに知らんがな?
仮に、アレルギーでもやで、
食べられるんやったら
黙って、とっとと食べろや!
とウチは思うわけやねん…
(口が悪くてごめんね…)
ウチは、このような矛盾点を突きたいのをじっと我慢しながら、
心の中で「まんじゅう怖い」の落語をこっそり思い出すことにしています。
まんじゅう怖いは落語の演目です。
暇を持て余した長屋の住人たちが、怖いものを言い合うお話です。
その中の一人が「饅頭が怖い」と言い出し、
日頃から気に食わないと思っていた住人たちが、嫌がらせにまんじゅうをたくさん買い込んで、
「饅頭嫌い」の住人にまんじゅうを投げ込むのです。
でも、住人は、怖いと言いながら、饅頭を片っ端から全部食べてしまうというお話です。
人は時として強情になる…
そやけどです。
人という生き物は、時として非常に強情になるときがあります。
言い出したら、ガンんとして他の考え方を受けつけなくなるのです。
もちろん、
自分もまた同じです。
だからと言って、強情な自分をそのまま放置するわけにはいかないです。
ふくカエル
ふくネコ
そこでです!
心がけてほしいことが
あるのです!
心がけて欲しいこととは、これ!
それは、これです!
柔軟さを失わない 1
感情には強情なところがある。とりわけとんでもない勘違いはたぶん、わたしたちがそれを癖だと思い込んでいることだろう。
アラン「幸福論」より引用
自分の強情さに気づいたら、
柔軟さを失わないように心がける
ことです。
感情的になって強情になるのではなく、「別にどっちに転んでもいいよね!」くらいのやんわりとした姿勢になってみます。
なぜ、心がけないとダメなのかな?
誰にでも強情なところがあるから
なぜならです。
誰にでも強情なところ(感情)があるからです。
「こうだ!」と感情的になると、そう簡単に変えられない場合があります。
たとえば、
「この人、嫌い!」と、一度でも嫌悪感を持ってしまった場合です。
こうなると、一度抱いてしまった嫌悪感を好意に変えることは、なかなかできないものです。
ふくカエル
強情さはどんどんエスカレートするから
それにです。
感情的に強情になってしまうと、強情さはどんどんエスカレートするからです。
ふくカエル
ふくネコ
こうなると、もはや自分では簡単に修正することができなくなります。
ふくカエル
ふくネコ
まあ、一言で言うと
めっさ「変てこりん」になるんやね。
なので、手遅れにならないうちに、普段から柔軟さを失わないように心がける必要があるのです。
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
まずは、勘違いをなくす
まず、勘違いをなくすようにします。
感情には強情なところがある。とりわけとんでもない勘違いはたぶん、わたしたちがそれを癖だと思い込んでいることだろう。
ここでいう勘違いとは、
自分だけは、強情な人間ではない!
やめて~なあ!
あんな強情な人達と一緒に
せんといて~なぁ!
という勘違いです。
実は、強情さは感情の一部分になのです。
ふくカエル
なので、感情を持ちあわせている人間であれば、誰でも強情な面があります。
たいがいの人は、強情さはその人の性格の一部分(癖)だと勘違いしています。
たしかに、そういう部分もあるかもしれません。
でもです。
誰でも感情的になれば、強情になる要素は兼ね備えていることも、また確かなのです。はい。
自覚する
なので、例外なく自分にも必ず強情な面があることを自覚します。
ふくネコ
すぐにあきらめない(断念しない)
また、何でもかんでもすぐにあきらめない(断念しない)ことも大事です。
一見すると、
- 強情さをなくすこと
- 柔軟になること
- あきらめない(断念しない)
には関連性がないようにも思えます、でもあるんです。
ふくカエル
自分の意に沿わないものはどんどんあきらめてしまうと…
「いやなもん」
「面倒くさいもん」
「とんでもないもん」などは、
あきらめる(断念する)に
限るでぇ!
となります。
どんどんあきらめる(断念する)ようになると、
まずは、自分にとって未知のものに触れる(トライする)柔軟さを失います。
たとえば、ブルーチーズです。
ブルーチーズってか?
絶対、口に合わへんに決まってる
いらん!いらん!
なんで、食べなあかんねん!
となります。
次に、自分の中の柔軟さを失えば失うほど、強情さを修正する機会をどんどん失います。
たとえば、先のブルーチーズの例で言うと…
ブルーチーズの濃厚さを
知る機会を
どんどん失うねん。
ことになります。
また、柔軟さを失うと、
自分の意に沿うものばかりを受け入れることが常態化していきます。
たとえば、
ブルーチーズはまずいもの
ブルーチーズは避けるべきもの
食べるなんてとんでもない!
となります。
さらに、自分の意に沿うものばかりを受け入れることが常態化すると、
自分の意に沿うものであれば、何でも盲目的に信じるようになります。
ふくカエル
ふくネコ
なので、
「ブルーチーズを食べたら
しゃっくりが止まらなくなった」
「ブルーチーズを食べたら
性格がめっちゃ悪くなった」
と言うウソ情報も簡単に信じるようになります。
ブルーチーズやで
そうに違いない!
しゃっくりが止まらなくなるそうや!それに、性格が悪くなったしな…
となります。
さらにさらに、自分の意にそうものだけを盲目的に信じてしまうと、
あらゆる反対意見を一切受けつけなくなります。
たとえば…
ブルーチーズが美味しいだと!
あれが美味しいという奴は、
とんでもない奴に違いない
味覚がおかしいに
違いない!
と、自分自身がとんでもない奴になります。
もっと最悪になると、盲目的に信じていることがどんどん固い信念になってしまいます。
たとえば、
ブルーチーズは、
身体に悪い食べ物だ!
そやから、金輪際食べない!
と、ひどく歪んで異常な信念が固まってしまいます。
固い信念になってしまうと、自分の中の一切の柔軟さをはねつけてしまい、
強情さはどんどんエスカレートし、異常なものになっていきます。
たとえば、
ブルーチーズを好きな奴とは
今後一切、付き合わない
と、非常にこまった状況をも招きます…
ふくカエル
ふくネコ
思い込み・決めつけをなくす
なので、自分の強情さが出てこないように、柔軟さを失わないようにするために、できるだけ思い込み・決めつけをなくすようにします。
たとえば、
きっと最悪に違いない
気に入るはずがない
きっと口に合わはずがない
といった思い込みや決めつけは失くすように心がけます。
ふくカエル
ふくネコ
トライする
さらに、自分にとって未知なるものであれば、思い込みや決めつけから頭ごなしにあきらめずに、トライするようにします。
- 敬遠する
- 拒絶する
- 断念する
のではなく、一度は自分でトライしてみます。
根拠を探す
また、確信を持つときは根拠を探すようにします。
根拠のない確信はなるべく持たないように心がけます。
たとえば、自分で真相を確かめたわけでもないのに、
「世間が言っているから、そうに違いない」
と信じて疑わない自分自身にならないようにします。
固い信念にならないようにする
そして、根拠のない確信が固い信念にならないように気をつけます。
意味不明な固い信念が、自分の強情さをさらに異常なものとしないように注意します。
そうすると、どうなるのかな?
強情さを忘れることができる
努めて柔軟さを失わないようにすると、強情さを徐々に忘れることができます。
柔軟な姿勢が、感情から強情さを引き出す「紐」を切ってくれます。
チョキンと切ってくれるねん。
食わず嫌いがなおる
次に、食わず嫌いがとりあえずなくなります。
余程のものでない限り(生理的に受け付けないものでない限り)、
とりあえず食べてから判断しようかという気になります。
視野も広がる
さらに、柔軟な姿勢に心がけると、
盲目的な確信や根拠のない信念が取っ払われるので視野も広がります。
柔軟な発想転換ができる
強情さが影をひそめて視野が広がれば、柔軟な発想転換ができるようになります。
自分の不得手なことでもトライしようと思えると、
自分にとっての新地を開拓することもできます。
ふくカエル
ふくネコ
何よりも生きやすくなる
そして、何よりも自分自身から強情さが影をひそめると、自分の人生が非常に生きやすくなります。
これは、強情さが引き起こすさまざまなトラブルがなくなるからです。
ふくカエル
強情さが引き起こすトラブルって、
ほんまに多いよね…
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第2章 自分自身について」
「No.053 柔軟さを失わない 1」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 自分の強情さに気づいたら、柔軟さを失わないように心がけてほしいです。
- 強情さは感情の一部分であって、誰でも強情さを持ち合わせているからです。
- 具体的には、強情さは癖(性格)ではなく、感情の一部分であることに気づくことです。
- 次に、自分にも強情な面があることを自覚します。
- また、すぐにあきらめて断念しないことも大事です。
- さらに、確信をもつには根拠を探すことです。
- そして、異常な確信を固い信念にしないことです。
- そうすると、強情さを忘れることができます。視野も広がり、柔軟な発想転換ができるようになります。
- なによりも自分の人生が生きやすくなります。
強情になってしまうことは、誰にでもあります。
人の感情にはそういうところがあるからです。
あっ?
今、強情になっているな?
と気づいたら、ちょっと立ち止まって
- 勘違いしてないか?
- 決めつけや思い込みからすぐにあきらめてないか(断念してないか)?
- ヘンなことを盲信してないか?
- 異常な確信が固い信念になってないか?
をチェックしてもらえると嬉しいです。はい。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。