予期に反する結果が生じたときの自己正当化する方法。
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
今回は、クリティカルシンキング入門篇「あなたの思考をガイドする40の原則」を勉強してみます。
もっと、きちんと くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
今回から第4章「自分自身を省察する」です。
前回までのお話
前回は、原因を推測するときに、
自分では正しいと思っている「常識」が、推測をじゃまするよ!
ということについてお知らせしました。
これだよ!
今回は・・・。
自分の予期に反して結果が生じたときに、
どうやって自分を正当化できるのか?
についてお知らせします。
そもそも、どんなときに原因が気になるのかな?
その前に、そもそも人はどんなときに原因が気になるのでしょうか?
いつも気にとめてないよね
本当のところを言うと、日常で起こることすべての出来事に
原因はどこだ?と考えません。
ふくカエル
でも、こんなときには気になる
でもです。
こんなときには、原因がどこにあるのか気になります。
- 自分の自尊心に関わるとき
- 予期しない出来事が起きたとき
- 自分の行動が予定通りに進まないとき
1.自分の自尊心に関わるとき
まず、自分の自尊心に関わるときに原因が気になります。
たとえば、
試験、ピアノの発表会の失敗とか
仕事での失敗とかです。
うお~~!なんでや?
となります。
その中でも、一番気になる原因が・・・。
なんと言っても
人間関係です!なんでこうなるん?
といろいろ考えると夜も寝られなくなります。
2.予期しないことが起きたとき
次に、予期しないことが起きたときに原因が気になります。
ふくカエル
たとえば、いつもならスムーズに進む道が、大渋滞になっているときなんか、
なっ、なんでや!連休だからか?
五十日(ごとび)だからか?
有名人が来ているのか?
と猛烈に気になります。
あと、日頃は不愛想な人が、急にニコニコしてきたときなんかも、
予期していない状況にビックリして、無性に原因が気になります。
え~!なに?
めっちゃ
笑ってくるんやけど?
気色悪いねん?
3.自分の行動が予定通りに進まないとき
そして、自分の行動が予定通りに進まないときに、これまた原因が気になります。
ふくカエル
ふくネコ
たとえば、予定では「5キロ減量大成功!」なはずなのに、逆にリバウンドしているときがそうです。
若干パニックになりながら、原因がどこにあるのか探しまくるのです。
なんで~~!
痩せへんの?
でもこんな原因は、矛盾が出てきて緊張状態になるよ!
緊張状態を引き起こす
このように、普段は自分から探ろうとしない限り気にならない原因ですが、
中には、原因を突き止めると自分の中で矛盾がおきて、緊張状態を引き起こすことがあります。
ふくカエル
たとえば、こんな状況
たとえば、こんな状況になると緊張状態を引き起こします。
- わざわざ愚かなことをしてしまった状況
- 他人を傷つけてしまった状況
ふくカエル
すると、認知的不協和が生じる!
このような状況に陥ると、自分の中で矛盾が生じ、認知的不協和が生じます。
認知的不協和とは、
一人の人が同時に
二つの心理的に相いれない認知(考え、態度、信念、意見)を抱いたときに
生じる緊張状態のことをいいます。
ちなみに、
不協和とは、調和がとれておらず、不安定なので違和感を感じる状態のことです。
ふくカエル
アメリカの社会心理学者 エリオット・アロンソン(Elliot Aronson)が提唱した言葉です。
たとえば・・・
たとえば、「自分は次のような人間である!」と信念(自己概念)を持っている人が、
- とても知的な人間
- いつも良い判断ができる
- 善良で思いやりがある
ぼくって、
ほんま善人やねん!と自負している人が、
何かの拍子に
- 愚かなことをする
- 人を傷つける
すると、自分の中で
なっ、なんで!
これは自分と違う!
こんな奴は、
本来の自分と違うねん!となります。
自分についての信念(自己概念)に矛盾が生じて、とても不快な認知的不協和が生じるのです。
なんで、
こんなことしてん!
じゃあ、この認知的不協和を緩和するにはどうする?
解釈を工夫する
こんな矛盾からくる
認知的不協和を緩和するには、自分の行動についての解釈を工夫することが必要になってきます。
自己正当化する
たとえば、自分を正当化します。
善良である自分が他人に暴言を吐いたときの理由を次のように解釈します。
本当は言いたくなかったのだが、
相手が、相当気の利かないやつで、
少々痛い思いをしなければ分からないから、
キツメの言葉をあえて選んで言ったのだ。
とです。
具体的には、どうする?
二つの方法
自分の認知的不協和の緊張状態を緩和する自己正当化ですが、
次の二つの方法をお知らせします。
これだよ!
- 甘いレモンの合理化すっぱいブドウの合理化
- 公正世界仮説
1.甘いレモンの合理化、すっぱいブドウの合理化
まず、甘いレモンの合理化、すっぱいブドウの合理化の方法です。
甘いレモンの合理化とは、
自分が選んだポジティブな面を強調して、ネガティブな面を無視する方法です。
すっぱいブドウの合理化とは、
逆に自分が選ばなかったり、捨てた方のネガティブな面を強調して、ポジティブな面を無視する方法です。
どうせすっぱいに
決まってるねん!と思って、
ブドウを食べないのです。
たとえば・・・
この「すっぱいブドウの合理化」は、
あれこれ考えた末に行動してしまった結果が大失敗だった場合など、
わざわざ愚かなことをしてしまったときに有効的です。
他にも選択肢があったのに、
そっちを選んだほうが良かったあ!
と苦悶しそうなときは、「すっぱいブドウ」の方法を使っちゃてください。
そして、次のように思っちゃってください。
もし、選ばなかった選択肢を選んでいたら、
もっと酷いことになっていたに違いないぞ!
ふくカエル
2.公正世界仮説
次に、公正世界仮説の方法です。
公正世界仮説とは、世の中は公正にできており、
- 正しい者は救われるはずだ
- 悪しき者は必ず罰を受けるはずだ
という因果応報的な考え方を基礎にしているものです。
この仮説を逆にから考えて、
誰かがなんらかの被害を受けた場合に
それはその人に、
その被害を受けるに値するだけの
罪があったからだ!
と理屈を考えるのです。
ふくカエル
こんなバカなこと
考える人っている?
って思うのですが・・・、いるんです。
たとえば・・・
たとえば、
いじめ事件で、出没します。
- いじめていた側の人間
- 当事者でない人間
の中に出没するのです。
そして、決まったようにこんな言葉を言っています。
ふくネコ
被害者にも、
それなりの問題がある!って言う人です。
ふくカエル
不幸な目に遭った人がいると、くわしい事情を何も知らないのに、
- 被害者の弱さ
- 考えの甘さ
- 不道徳さ
に責任の一端があると軽々しく評価しちゃうのです。
ふくネコ
そこで必要になる、クリティカルな思考になる第24、25の原則
自分の判断や決定が誤りだった(つまり自分が愚かだった)ことを認めたくないために、合理化により真実から目をそむけている可能性に留意せよ。
クリティカルシンキングより引用
自分のせいで人が傷ついたり、苦しむような結果になった時(あるいはただの傍観者である時でさえも)、被害者側の落ち度や責任を過大に見積もりがちになることに注意せよ。
クリティカルシンキングより引用
こんな風にアレンジしてみた!
第24の原則
自分が「バカだった!」ことを認めたくないときは、
真実から目を背けている自分がいるよ!
第24の原則
自分が人を傷つけたときは、
「自分が悪いんじゃない!」
「相手が悪いんだ!」
と落ち度をこじつけたり、責任を過大見積もりするよ。
ここで、ちょっと考えてみませんか?
こんな場合はどう考えます?
よく大学の新入生が、無理やりお酒を飲まされて「アルコール中毒」で救急車で運ばれるという話を聞きます。
このような加入儀式(イニシエーション)として、新参者に精神的(肉体的)苦痛を体験させることは、さまざまな集団で行われています。
ふくカエル
でもです。
どう見ても変な儀式だし、ツライ体験なのに、
かえってその集団に強い愛着がわき、
一員であることを誇りに思い、
熱心に活動している人が出てきます。
ここでクエスチョンです!
どうして、不愉快で苦痛な体験をしているのに、愛着がでて、その集団にハマってしまうのでしょうか?
ふくカエル
なんでこんなヤバイ集団に
「この聡明な自分が、メンバーになってしまったのか!」
と、現実を見ると不快な認知的不協和が出てきます。
そうならないために、
集団をすばらしく価値があり、この集団に属することは誇りなんだと自分自身を信じ込むことにあります。
こんな素晴らしい集団だから、
この「俺さま」がいるんだ!
ふくネコ
嫌な経験を「たいしたことなかった」として、バカな集団から足を洗うことができる人間もいるのもたしかです。
ふくカエル
足を洗えないから、
いつまでも足が臭いんです。
まとめてみたkerokero
- 予期に反する結果が生じたときに生じる認知的不協和を緩和する方法をお知らせしました。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、クリティカルシンキングの引用文は、宮元博章さん他お三方の日本語訳によりました。