なぜ、自分の答えを過信するのかな?
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
今回は、クリティカルシンキング入門篇「あなたの思考をガイドする50の原則」を勉強してみます。
もっと、きちんと くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
今回から第6章「自分は何を知っているかを知る」です。
「理解していたつもりになっていたのに、実は理解していなかった!」ときって大いに動揺します。
もし、あなたが今そのことに「嫌っ!」というぐらいに悔しい思いをしているのなら、
今回からの第6章を参考にして欲しいです。
第6章では、
「知っていると思っていること」と「実際に知っていること」のズレを少なくするには
どうすればいいのかを考えてみます。
前回では、
前回では、「自分の答えが正しいのかどうかを判断する方法」についてお知らせしました。
今回は、
今回は、「なぜ、自分の答えを過信するのか?」についてお知らせします。
どうしても、人は、「自分の答えは正解だ」と過信する傾向があります。
その謎について迫っていきたいと思います。
人は、自分の答えを過信する!
必要以上に過信する!
人は、自分の答えを必要以上に過信します。
よく、
絶対、あたしの言うことは正しい!
って強情をはる人がいます。
ふくネコ
ふくカエル
典型的な例です。
動機付けを高くしてもダメ
この必要以上に過信してしまう傾向ですが、動機付けを高くしてもムダだそうです。
たとえば、
- 正解したら報酬
- 間違ったら罰金
と条件をつけても、自分の答えに対する過信は消すことはできないことが分かっているそうです。
Fischhoff , B. Slovic,P. Lichtenstein,S 1977
Knowing with certainty:The appropriateness of extreme confidence.
報酬をもらえると慎重になるような気がするのですが、
実際は、報酬をもらえるとなると、
目がくらんで(?)、余計に自分の答えに対する過信が強くなるのかもしれません。
えっつ!
正解したらお金くれるん!
ってなるもんね。
ほんなら、
この答えが間違いないわ!って過信するんだよね。
でも、なぜ、そもそも自分の答えを過信するのかな?
では、なぜ、そもそも人は、こうも自分の答えを過信してしまうのでしょうか?
記憶は完全コピーじゃないから
実はです。
答えを導くために、思い出す記憶自体が正確じゃないからです。
ふくカエル
人は、答えを見つけるために、自分の記憶を思い出し、めぼしい答えを探し出すというプロセスを踏みます。
【答えを導き出すプロセス】
このように、記憶した知識などを脳みそから引っぱり出すプロセスの中で、
記憶した以降に起った出来事(体験・経験)など、その他の知識や情報なども一緒に引っぱり出してしまうのです。
そして、いろいろと推察して答えを出すようにします。
なので、以前自分が覚えたり、経験したものが付着しているので、正確な完全コピーと言えないのです。
ふくカエル
間違いが混入しても気づかないから
それにです。
引っぱり出した記憶に、
「勘違いの知識」や「間違った情報」が付着していたとしても、人は気づかないからです。
なぜなら、根底に、自分の思い出したものは正しいという信念があるからです。
なので、
ふくネコ
日常的なものや連想に引きずられるから
さらにです。
人は、日常的なものや連想しやすいものに、すぐ引きずられる傾向があるからです。
すぐに連想できるものについては、本当に引っかかりやすいです。
ふくカエル
たとえば、これです。
「ピザと膝(ひざ)」のおふざけです。
相手に「ピザ」を10回言わせてから、
膝を指さして「ここはなんて言う?」と質問するおふざけです。
たいがいの人は「膝(ひざ)」のことを「ピザ」と言ってしまいます。
うっしし。
容易に利用可能な情報にすぐに飛びついて、答えを推測してしまうのです(利用可能性ヒューリスティクス)。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
このように、とくに日常的なものや連想から、
ぽっと容易に出してしまった自分の答えだと、余計に過信してしまう傾向があるのです。
ふくカエル
利用可能性ヒューリスティクスについてはこちらをご覧ください。
じゃあ、過信しないためにはどうする?
2つのことを心がける!
じゃあです。
このように、容易に出してしまった自分の答えをむやみに過信しないようにするにはどうすればいいでしょうか?
それにはです。
次の二つのことを心がけることが必要になります。
- 記憶は不正確であることを自覚する
- どのような推論を行なったのかをよく考える
1.記憶は不正確であることを自覚する
まず、自分の記憶はとてもあいまいで不正確であることをはっきりと自覚することです。
記憶は、記憶された当時の事実の完全コピーではなく、
いろいろな出来事や情報により、再構成された推論であることを自覚します。
さらに、いろいろな知識や情報を取り入れて再構成するので、
そこに誤りや不正確さが入ってしまうものだと自覚するようにします。
2.どのような推論したのかをよく考える
次に、どのように推論をしたのか、プロセスをよく考えることです。
- 根拠は正しいのか(思い違いや勘違いなどの誤解が混入してないか)?
- 見落とした出来事(体験・経験)や情報がないか?
- 誤った推論をしていないか?
などを意識します。
具体的には、どうする?
具体的には次のようにしてみます。
ちゃんと疑問を抱く!
まず、ちゃんと疑問を抱くようにします。
自分の知っていると思っていることは、「何でも正しい!」と決めつけて、疑問を抱かないでスルーしちゃうような思考パターンを改めます。
ふくカエル
これです!これ!
学校で習ったから、「自分の考えることはすべて正しい」と思って、天狗になっちゃうんですよね。
ふくネコ
関連する情報を無視しない!
次に、関連する情報を無視しないことです。
ややもすれば、関連する情報にも目をつむってしまいがちになるのですが、
関連した情報には、ヒントが隠されいることもあるのです。
ちゃんと心をマインドフルにして関連した情報も探ってみるようにします。
自分に都合のいい理由だけをみない!
また、自分の答えに都合のいい理由だけを探さないことです。
人は自分の答えが正しいという前提に立ってしまうと、その答えを支持するような理由ばかりを探してしまいます。
大切なのは、矛盾する理由!
大切なのは、逆なのです。
自分の答えと「矛盾するような理由」こそが、自分を「過信する状態」から解放してくれるのです。
なので、いつも二つの面から考える!
なので、いつも二つの面から考えるように心がけます。
二つの面とは、
- 自分が選んだ答えの理由
- 自分の答えと矛盾する理由
という二つの理由です。
このことについては、
自分の答えと矛盾するような理由を書かせると、「自分の答えが正しかどうかの判断の正確さ」が高くなるという研究があるそうです。
Kriat, A. Lichtenstein,S Fischhoff , B. 1980
Reasons for confidence.
記憶を理由にするときも同じ!
さらに、自分の答えが正しいかどうかの根拠を「自分の記憶」に求めるときも同じように考えます。
自分の答えが正しいという根拠ばかりを探すよりも
- 自分の答えは間違っていないか?
- 答えを否定する根拠はないか?
を探すようにします。
このように自分の答えを否定する根拠を常に探すようにすると、
自分の答えが正しいかどうかを、今よりも的確に判断することができます。
今回の気になる、クリティカルな思考になる第51・52の原則
第51の原則
記憶を過信してはならない。記憶はものごとの正確なコピーではなく、推論によって再構成されたものなのだ。
第52の原則
自分がどのような推論によって答えを出したのかをよく考えよ。記憶はどの程度確かなのか、推論に無理なところはないか、吟味せよ。
クリティカルシンキングより引用
こんな風にアレンジしてみた!
第51の原則
記憶は絶対とちがうよ。
記憶を思い出すときに、
それまでに自分が経験したことや知った情報などが
いろいろ付着してくるよ。
記憶じゃなくて推論になってしまうのね。
中には勘違いや思い違いという間違いが付着している場合もあるから
本当に気をつけたほうがいいよ。
第52の原則
自分の答えが正しいと支持する理由ばかり探さないで、
- 自分の答えを支持する理由
- 自分の答えと矛盾したり、否定する理由
の二つを探したほうがいいよ。
自分の記憶はどの程度正確なのか疑ってみるぐらいにしていると、
自分の答えが合っているのかどうか的確に判断できるよ。
ほんま、
「あたしの言う事は正しいねん」
と言うまでに、
いっぱい検証しなアカンことが
あるねん。
「自分が間違っているかもしれない?」と仮定するのって大事なのです。
まとめてみたkerokero
- 「なぜ、自分の答えを過信するのか?」について理由をお知らせしました。
- 記憶は完全コピーではなく、いろいろなことが混在した推論になってしまうからです。
- また、人は日常的なものは連想しやいものに引きずれてしまうからです。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、クリティカルシンキングの引用文は、宮元博章さん他お三方の日本語訳によりました。