演繹(えんえき)的議論の正しさを判断する方法 前提をチェックする
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
今回は、クリティカルシンキング実践篇「あなたの思考をガイドする50の原則」を勉強してみます。
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
今回から第9章「良い議論と悪い議論」です。
日々の暮らしの中で欠かせないものの一つに、「議論する」ことがあります。
自分の決定が正しいことを他人に納得させることが、必要な場面が出てきます。
そんなときこそ、クリティカルな思考力が必要になってきます。
思考力をうまく使えば、次の2つのことが可能になります。
- 自分の考えを論理的で説得力のある方法で主張できる
- 他人の主張や議論を適切に評価できる
前回は、
前回は、演繹(えんえき)的議論の構成を理解して、身につける練習方法についてお知らせしました。
今回は
今回は、演繹(えんえき)的議論が正しいのかどうかを判断する次の2つの基準のうち、
- 前提と結論をつなぐ議論の形式が正しい(形式の妥当性)
- 結論が導かれるもとになる前提がすべて正しい(前提の真実性)
2.結論が導かれるもとになる前提がすべて正しい(前提の真実性)についてお知らせします。
どうして「前提の真実性」が必要なのかな?
議論自体が正しくなくなるから
前提が正しくなければ、議論自体が正しくなくなるからです。
どんなに議論の構成が形式的に正しく行われても、議論の根本になる前提が誤っていれば、議論そのものが怪しいものになるのです。
演繹(えんえき)的議論では、
「AならばB」とは、Aならば「必ずBである」という意味であり、「Bでない」ということは起こりません。
この仮定から外れる前提は、正しい結論が導かれる確実性が低くなるのです。
たとえば、2つの混同
たとえば、2つの混同
たとえば、前提が仮定から外れているのに、正しいように見える議論が2つの混同があります。
- 許可と義務を混同する
- 必要原因と十分原因を混同する
ふくカエル
許可と義務を混同する場合
許可の主張と義務の主張
まず、
- 許可の主張
- 義務の主張
を混同する場合です。
たとえば!
許可の主張: もし、この会社で2年間働いたら奨学金が免除になる。
義務の主張: 奨学金の免除を受けたければ、この会社で2年間働かなければならない
言い換えると
- してもよい、する権利がある
- しなければならないと要求される
を混同する場合です。
たとえば・・・
日々の暮らしの中で、この手の主張の混同はしばしば見受けられます。
「もし〇〇ならば、〇〇である」という前提が、
「してもよい」という許可の主張なのに、
「しなければならない」という主張してしまっていることがあります。
たとえば!
あなたが、優秀な人なら、奨学金免除される。
あなたは、奨学金を免除されていない。
だから、あなたは優秀な人でない。
この議論の構成は、前回お知らせした「後件の否定」になり、誤った議論になります。
優秀な人であっても、奨学金免除の道を選ばずに、奨学金返済の道を選ぶ人はいくらでもいます。
許可(権利)と義務を混同しています。
演繹(えんえき)的議論を身につけることができる練習問題に興味ある?
日々の暮らしの中にもあるよ
ふくカエル
あなたが頭のいい子なら、推薦入学する
あなたは推薦されてない。
だから、あなたは頭のいい子じゃない。
これは、
「頭のいい子は、推薦入学をする権利をもつ」という許可の主張を、
「頭のいい子は、必ず推薦入学しなければならない」という義務の主張として間違えてます。
あなたは親友なら、話してくれる。
あなたは全部話してくれない。
だから、親友じゃない。
これも、「親友なら、すべてを話す権利をもつ」という許可の主張を、
「親友ならば、必ずすべて話さなければならない」というとんでもない義務の主張をしていることになります。
ふくカエル
ふくネコ
恋人なら、我がままを許してくれる。
でも、あなたは我がままを許してくれない。
だから、恋人じゃない。
これも、
「恋人であれば、わがままを許すこともある」という許可の主張を、
「恋人であれば、必ず、わたしの我がままを許してくれるはずだ」という義務の主張になってます。
ふくカエル
ふくネコ
こんな人って、
たまにいるよね。困っちゃうよね。
そこで、お知らせしたい!
今回のクリティカルな思考になる第80の原則
義務の主張(~ねばならない)と許可の主張(~でもよい)を区別せよ。許可の主張に過ぎないものを義務であるかのように偽装して主張が多い。
クリティカルシンキングより引用
こんな風にアレンジしてみた!
第80の原則
- 〇〇ねばならない
- 〇〇してもよい
という主張には敏感になったほうがいいよ。
よくこれを混同しちゃっている人がいるからね。
こんな主張に遭遇したときは、
議論そのものが正しくないことに気づくのが正解だよ。
パワハラなんて、
「義務の主張」と「許可の主張」を
混同している最たるものだよね。
まとめてみたkerokero
- 演繹(えんえき)的議論の正しさを判断する基準として、前提の真実性についておしらせしました。
- 許可の主張にすぎないのに、義務の主張であるとして偽っているときは、議論そのものが正しくないので注意します。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、クリティカルシンキングの引用文は、宮元博章さん他お三方の日本語訳によりました。