同情するよりも、共感するほうがいいと思う理由について
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第1章 不安と感情について」
「No.36 悲しみを尊ばない」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
悲しみを尊ばない
「悲しみはけっして崇高なものでも、美しいものでも、有用なものでもない」と。
アラン先生「幸福論」より引用
つい、同情しちゃうよね
他人が悲しんでいるときに、素通りするのは気がひけます。
その人が友人だったら尚更です。
できることなら、その人が涙をふくハンカチを差し出したいものです。
悲しみが癒えるように、同じ気持ちになって寄り添いたいと思うものです。
でも、調子悪くなるんだよね。
でもです。
正直なところ深く同情すると、調子悪くなりませんか?
相手の気持ちに引きずられて、どうしてもこちらの気持ちもずど~んと落ち込んでしまうのです。
カエル風アラン先生の言葉
こんなときに、アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、想像してみました。
人は、つい他人の悲しいことに
遭遇すると
同情して涙するよね。
相手と同じ気持ちになって
相手の苦悩を自分のことのように
感情移入してしまうだ。
でも、同情するのは
ほどほどにしておいた方がいいぞ。
なぜ、「ほどほどに・・・」なのかな?
破壊力がすごいから
実は、人の悲しみがもつ破壊力はえげつないからです。
たとえ、それが他人のものであっても同じです。
相手の健康に悪影響を及ぼすほど強烈です。
でも、ほとんどの人は他人の悲しみに遭遇すると、この破壊力を忘れています。
ふくカエル
でも、
凄まじいパワーなのです!
まず、簡単に支配するから
まず、悲しみは、簡単に相手の思考に入り込み、その人の感情を支配します。
ふくカエル
他人の悲しみの感情が自分の中に入ってくると、
たいがいの人は気持ちが塞いできます。
ネガティブな考え方になったり、憂うつな気分になってため息をつくようになります。
相手の悲しみが
伝染病のように移るねん。
じゃあ、同情するよりも、どうすればいいのかな?
同情よりも共感する
「同情する」よりも「共感する」ようにします。
同情は、相手の悲しみと同じ気持ちになって、一緒に落ちこむことですが、
共感は、相手の悲しみを冷静に理解するけれども、一緒に落ち込まないことです。
そのためには、次のように考え方を変えていきます。
- 言い聞かせる
- 喜びを育てる
- 不安・悲しみ・憎しみなどを消し去る
まず、言い聞かせる
まず、悲しみは
- 崇高なものでもない
- 美しいものでは決してない
ことを、こんこんと自分に言い聞かせます。
相手の悲しみなどの感情に引きずられないようにします。
そして、
「死」を尊ぶよりも、
「今生き切る」ことを尊ぶようにします。
「不安」ばかりを見つめるのではなく、
「希望」を広げるようにします。
次に、喜びを育てる
次に、
喜びこそ、
- 悲しみや憎しみを消し去るもの
- 希望を生むもの
であることを理解し、なるべく「相手の喜び」や「自分の喜び」を育てるようにします。
具体的には、どんな小さなことでもいいので、とにかく喜ぶのがいいです。
今日の喜びが「明日の希望」を生むことを相手にも自分も実感するようにします。
ふくカエル
ふくネコ
不安・悲しみ・憎しみなどを消し去る
そして、相手にアドバイスを請われたら、
そこで初めて、
「喜びこそが悲しみや憎しみを消し去ることができる」ことを相手に伝えます。
ふくカエル
どんなに悲しくても憎くても、
最後に笑えたらすべて帳消しになる
ことを伝えます。
そうすると、どうなるのかな?
感情移入しなくなる
「同情する」のではなく「共感する」ように心がけると、むやみやたらに相手に感情移入しなくなります。
逆に、冷静に相手の悲しみを理解し、
どうすれば元気を
回復することができるか?
という点だけを問題にして、集中することができます。
相手の悲しい気持ちや感情に引きずられることなく、正しい判断をすることができます。
悲しみの破壊力の餌食にならずにすむ
なんと言っても、「同情する」のではなく「共感する」ように心がけると、相手の悲しみの破壊力の餌食にならずにすみます。
ふくカエル
ふくネコ
まとめてみたkerokero
- 他人の悲しみの感情には、「同情する」よりも「共感する」ほうがいいです。
- 悲しみは、それが他人のものであっても、崇高なものでも美しいものでも、有用なものでもないのです。
悲しみの破壊力、エネルギーは相当凄まじいものです。
これは、他人の悲しみであっても同じです。
自分で自分自身を守ることができない人は、自己満足から他人の悲しみに踏み込んでしまうのは良くないです。
同情は、他人の悲しみの破壊力を受け止めて、跳ね返すだけの技量やエネルギーの余裕がある人が本来すべきことなのかもしれません。
自分の安っぽい正義から手を差し伸べて、優しく接しても、
途中で手に負えなくなって、相手を投げ出すのはとても残酷な行為です。
ふくカエル
最後までつきあう覚悟がなければ、相手の悲しみを中途半端に尊ぶような行為はしないほうがいいと思うのです。
ふくカエル
ふくネコ
同情することで感化されてしまい、自分も調子が悪くなる人が一定数います。
ふくカエル
ふくネコ
ただ、「自分の中途半端な優しさ」に酔って自己満足したいだけなのかもしれません。
ここで一番、
必要な姿勢は、
相手の気持ちに共感して、冷静に判断し、そっと寄り添う姿勢やと思います。
相手に請われたら、初めてそこで優しく
「自分ならこうするよ」
と伝えることができる、
そういった気持ちの余裕を保ちながら、
相手の横にそっと寄り添う姿勢やと思います。
でも、相手に面と向かって「同情せえへんけど、共感するわ!」なんて言うのはデリカシーに欠けます。
誤解して相手を深く傷つけることになるので、アカンよ。
にっこり笑ってそばに寄り添うのがOKやねん。
と思うねん。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』によりました。