悲しみを忘れたいあなたに、そっとお知らせしたいこと
こんにちは!ふくカエルです。
「第1章 感情と不安について」
「No.005 悲しみは心の問題ではなく、身体の問題である」
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
悲しみはほんまに忘れられへんのです!
悲しみというものは、本当に忘れられません。
何も見ても、何もしても、頭から離れません。いろいろなことが思い出されて思考が全て停止するのです。
意識すればするほどどんどん悲しみが深くなり、どんどん涙があふれてきます。気が狂いそうになります。
どんなに親友が力づけようと心を砕いてくれても、すげなく拒絶するのです。
悲しいのは分かるけど、
もっと楽しいことを考えよう!
と、心優しい友人に言われても、
もう、悲しいねん。
そんなこと考えられへんわ!
ほっといて!なんでそないに
デリカシーのないこと言うねん。
このあほんだら。
と思ってしまうのです。はい。
そこで、そっとお知らせしたいこととは、これ!
これです!
そこでです!
そっとお知らせしたいことがあるのです。それは・・・
悲しみは心の問題ではなく、身体の問題である
そうすればもう疲れや病気と同じことで、ちっとも複雑なことではなくなる。
アラン「幸福論」より引用
悲しみは、心の問題ではなく
身体の問題として考える
ことです。
なぜ、身体の問題と考えるのがいいのかな?
いらないことを考えなくてすむから
身体の問題として考えると、いらないことを考えなくてすむからです。
たとえば、裏切られて胸が痛いのは、ただ単に心臓が弱っているからだと考えます。
そういや、最近、
全然寝てないからや!心臓が弱っとるな!
と考えるねん。
問題がシンプルになるから
また、身体の問題として考えると、問題が非常にシンプルになるからです。
【心の問題として考えると】
心が痛いのは、
どこをケガしてるのか
分からへんから
どうしようもできひんねん。
【身体の問題として考えると】
考えすぎて、
胃が痛くなっているのなら、
少なくとも胃薬を飲もうと思えるねん。
こうして考えたほうが、悲しみに囚われることが少なくなります。
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
身体の不調だと思っちゃう!
自分が囚われている悲しみをすべて身体の不調として置き換えます。
ほんのちょっと着眼点を変えてみます。あとは自分の身体をメンテナンスすることに専念します。
たとえば、こんな風に考えちゃう!
ふくカエル
ふくネコ
1.痛さを置き換えてみる
まずは、悲しみによる「心の痛み」を「身体の痛み」に置き換えてみます。
たとえば、
- 親友から裏切られた痛み
- 嘘をつかれて悲しいときの失望感の痛み
- 友人がいない痛み
- ペットが亡くなった喪失感の痛み
- 恋人から拒絶された痛み
- 失敗したときの自尊心が傷ついた痛み
などの痛みを、
人が、悲しみにくれるときには、非常に大きなストレスがかかっている状態なので、何らかの「身体の不調」があるものだと思うのです。
身体に何にも不調が見当たらない!という方は、とても素晴らしい方です。
ふくカエル
次のような「身体の痛み」に置き換えてみます。
- 心臓がバクバクする
- 身体がだるい
- 足が重たい!肩がカチコチしている
- 頭痛がひどい
- 食欲がない
- 胃痛がひどい
- お腹を壊している
というような症状に置き換えてみます。
2.身体の問題として考える
次に、悲しみによる「心の痛み」を「身体の痛み」に置き換えたら、「身体の問題」として考えてみます。
たとえば、
心臓がバクバクするのは、
悲しみによるストレスやショックで、
脳が戦闘モードに入って、
心拍数をあげているからだ!
だから、心臓がバクバクしているのだ!
と「身体の問題」として考えてみます。
身体がだるいのは、
悲しみによるストレスやショックで、
脳や臓器のシステムが
赤血球が増やしているからだ。
だから、血液がドロドロしてて、全身がだるいのだ!と「身体の問題」として考えてみます。
頭痛がひどいのは、
悲しみによるストレスやショックで
脳が混乱しているからだ!
だから、頭痛がひどいのだ。
と「身体の問題」として考えてみます。
食欲がなかったり、胃痛がひどいのは、
悲しみによるストレスやショックで
過剰に胃液が出ているからだ!
だから、胃が痛いのだ!
と「身体の問題」として考えてみます。
お腹を壊しているのは、
悲しみによるストレスやショックで
腸に負担がかかっているからだ!
だから、お腹を壊しているのだ。
と「身体の問題」として考えてみます。
もちろん、これは、決して病気に逃げるのではないです。
悲しみを忘れるために、身体の不調を利用するのです。
3.マシだと考える
また、「身体の問題」として考える際に、悲しみによる「心の痛み」に比べたら、「身体の痛み」の方がマシだと考えるようにします。
4.それ以上意識しない
さらに、「身体の問題」として考えたら、それ以上悲しみによる「心の痛み」を意識しないようにします。
たとえば、「悲しくて、心臓がバクバクしている状態」を
「ただ、心臓がバクバクしている状態」として考えるようにします。
5.身体の痛さの改善のみに集中する
あとは、「身体の痛み」のみに集中して、身体をメンテナンスしていきます。
たとえば、身体がだるい原因を「血液がドロドロしているからだ」と考えたなら、
血液がサラサラになるように、身体をメンテナンスしてゆきます。
- もっとちゃんと考えて食事をとるぞ!
- ちゃんと睡眠をとろう!
- 暴飲暴食を止めるぞ!
ってな感じです。
6.そして、忘れる
そして、「身体の痛み」を取り除いて治癒することのみに専念して、悲しみによる「心の痛み」を忘れるようにします。
こうすることで、悲しみを意識下に落として忘れるようにしていきます。
ふくカエル
悲しくて仕方がないとき
どうしても悲しくて仕方がないときは、自分の脳のシステムが混乱しているだけだと考えてます。
あとは、なぜ、システムエラーを起こしているのかを考えて、
- 寝不足
- 過労
- 食欲不振
- 栄養不足、など
といった思い当たる原因を探り、身体をメンテナンスして大事にしてます。
どうしても、思い出してしまうとき
どうしても、何度も「悲しみ」を思い出してしまうときは、
自分の脳が、
経験した「悲しみ」を「生きる為に必要な情報だ」と認識して、記憶しようと必死になっている
と考えてます。
こう考えると、「悲しみ」のマイナスのイメージをプラスのイメージに変えることができているような気がします。
泣いてしまうとき
どうしても「悲しみ」を思い出して、泣いてしまうときは、
涙を流すことによって、身体が自己修復しているのだと考えてます。
涙が、身体の不調をデトックスしてくれていると考えると、涙もプラスの材料として受け入れることができてます。
そうすると、どうなるのかな?
余裕ができる
まず、問題が明確になって、解決方法も具体的に探せるようになるので、精神的に余裕ができます。
100%悲しみで暮らすよりも、風通しがよくなります。
気が楽になる
次に、すごく気が楽になれます。
一時でも、「心の悲しみ」を「身体の不調」に転換して忘れることができるからです。
真相を理解できる
さらに、精神的余裕ができ、楽になるので、悲しくなった真相を理解できるようになります。
今まで避けていた「悲しくなった本当の原因」を自分で認めることができます。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第1章 感情と不安について」
「No.005 悲しみは心の問題ではなく、身体の問題である」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 悲しみにとらわれているときは、悲しみを「心の問題」じゃなく、「身体の問題」として考えてみるのがいいです。
- 「身体の問題」として考えることで、悲しみ自体の問題をシンプルに考えることができます。
- あとは、最適な解決方法を選択して、問題解決のみに集中すれば、悲しみを忘れることができます。
【身体の不調が見当たらない方へ】
もしもです。
悲しいのに、悲しみを忘れたいのに、身体の不調が思い当たらないのなら、
あなたは大丈夫です。
身体のパワーがみなぎっています。
そのパワーでもって、力づくで「悲しみ」を忘れることができます。
ぶらぼ~~~!
ふくカエル
そして、次に
- ガンガン食べて
- ガンガン寝て
- ガンガン活動する
- ガンガン楽しむ
と積極的に前に進んで、人生を生きることを満喫してください。
きっと「悲しみ」の方から、自主的に退散していきます。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。