平和はつくり出すもの
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第4章 行動について」
「No.103 進んで行動する 4」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
進んで行動する 4
戦争やあらゆる種類の感情は、自分で自由に決定できるという、恍惚感によって理解することができる。
アラン先生「幸福論」より引用
平和はもろいのか?
世の中には、ハラハラドキドキするような争いが繰り広げられています。
どの争いも自分たちの平和のために、自らの命の危険さえ顧みず、戦いに挑んでいます。
どうやら、平和は、誰にでも平等にあるのではなさそうです。
とても不安定で、とても脆い(もろい)ようです。
カエル風アラン先生の言葉
こんなときに、アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
そうやねん。
平和を考えると
訳が分からなくなるねん。
でもな。
ただ一つ言えることは、
「平和はつくりだす」ものやねん。
それも常に崩れないように
注意しなあかんもんやねん。
なぜ、平和は作り出すものなのかな?
分別や理性では保てないから
人間の分別や理性では、平和を十分保つことができないからです。
平和は常に作り出し、崩れないように注意しなければならないほど、危ういものなのです。
なぜなら、平和を支える人間そのものが危うい生き物だからです。
絶えず揺らぎ壊れるものなので、平和は絶えず作り出さないといけないようです。
どうして、人間は危うい生き物なのかな?
人間は、恍惚感(こうこつかん)に弱いから
まず、人間は恍惚感(こうこつかん)に弱いからです。
恍惚感とは、快感などに心を奪われてうっとりする感覚です。
人間が一番の恍惚感をおぼえるのは、「自分で自由に決定できる」ときです。
自分から作り出す運命などに快感をおぼえてうっとりしてしまうのです。
とくに「今ある平和な状態」をわざわざ破壊することに恍惚感を覚えたりします。
ふくカエル
ふくネコ
人間は、しばしば暴走するから
それに、人間は、しばしば暴走するからです。
人は「自分で自由に決定できる」ことを悪用してしまうのです。
たとえば、
自分の信じるものためなら、
- 平気で人を傷つける
- 危害を加える
- 戦いに挑む
ような暴挙に出てしまうのです。
じゃあ、どうすればいいのかな?
再認識する
まず、次のことを再認識します。
人間は、
自然に流れる運命に身をゆだねるよりも、
自ら運命をつくり出したいと
望む生き物であること
を再認識します。
理念の落とし穴に注意する
次に、理念の落とし穴に注意することです。
理念とは、「〇〇はこうでなければならない!」という価値観です。
「〇〇のために戦う!」という理念には、落とし穴があります。
「〇〇のため」なら、
犠牲になるものがあるのも当然だ。
正当化されるに違いない。
という落とし穴です。
ひとりひとり自覚をもって行動する
なので、ひとりひとり自覚をもって、落とし穴にハマらないように行動します。
ふくカエル
正義をつくり出す
そして、正義をつくり出します。
人としてどのように行動すれば正しいのかを吟味します。
なるべく、他の人間が作りだした危うい運命に流されないようにします。
そうすると、どうなるのかな?
争いをやめることができる
- 人間は、恍惚感に弱い生き物である
- 人間は、理念のためなら暴走しやすい生き物である
などを十分に理解して、ひとりひとり行動すれば、
争いをやめて、和解することができます。
ふくカエル
まとめてみたkerokero
- 平和は分別や理性では、十分に保持することができません。
- 人は、恍惚感に弱く、理念のためなら暴走するからです。
- ひとりひとりが自覚をもてば、争いをやめて和解することができ、平和をつくり出すことができます。
人って、自分の都合で「平和な状況」を潰しちゃうときがあります。
自分でわざわざ潰しちゃうのです。
もし、自分が潰しちゃいそうになったら、
- 自分の自由にうっとりしてないか?
- 自分の力に酔ってないか?
- ちょいと暴走してへんか?
と自問自答するのがいいと思います。
「自分の人生」をゲームのように考えちゃう暴走を止められると思うねん。
「自分の人生」はゲームと違うよ。
壊したら元通りにするの大変やで。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。