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「幸福論」人から反感ばかり買っている…こんなときに考えること。

人から反感ばかり買っている…こんなときに考えること

ふくカエル

こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。

ご訪問いただきましてありがとうございます!

アラン先生の「幸福論」を勉強しています。

今回の勉強のテーマは、

「第7章 幸福について」

「No.176 愛情をもって行なう」

 

 

この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。

中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。

そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。

 

もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!musimegane_girl

という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。

アイキャッチ画像11 アランの「幸福論」について

 

 

「幸福論」について
その他のテーマはこちらです!

 

愛情をもって行なう

つまり、すばらしい音楽に拍手を送るほうが、ひどい音楽に野次をとばすよりずっといいし、より公正で、より効き目があるのだ。

アラン先生「幸福論」より引用

ひょっとして…反感を買ってる?

 

こんなこと感じることないですか?

ひょっとして、
うち、
反感を買ってるんやろうか?bikkuri_me_tobideru_woman

と感じることです。

なっ、なんでなん?

背景には、

  • 特定の人から意図的にされる
  • いじめのような「裏での団結性」がある

といった特別な事情はないはずなのに…

 

どうしてか、あきらかに、不特定多数の人達から反発をくらっているのです。

 

うおっ!

 

そやけど、なんでやmoyamoya_woman

カエル風アラン先生の言葉

 

アラン先生がいてくれたら、

 

こんな風に言ってくれたかもしれない!

 

と、いろいろと想像してみました。

 

人から反感を買うってのは、

ほんまにやるせないよな?

そやけど、ひょっとしたら

自分に原因があるかも?

って考えるのもええかもしれへんで。

自分では気づかへん

「思考の癖」があるかもしれへんから。

考えてみることとは、これ!

これです!

愛情をもって行なっているか?

です。

 

自分の今までの行ないすべてを振り返ってみて

 

自分の言動に、愛情を込めているか?
はたから見て、それが感じられるか?

 

どうかを考えてみます。

 

ひょっとしたら、

 

自分では正しい
これが正義や!sentai_ranger_red

と考えてやっていたことが、他人から見れば、愛情がまるっきし感じられなくて、冷酷すぎたかもしれません。

 

ふくカエル

愛情が感じられへんかったら、

ふくネコ

人から反感を買っても仕方がないねん。

なぜ、愛情がないと反感を買うのかな?

気持ちを逆なでするから

 

愛情がない行ない(振舞いや態度など)は、相手の気持ちを逆なでするからです。

 

人は、愛情がまったく感じられない行ないに、その人の憎悪の感情を敏感に嗅ぎ取ってしまうのです。

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この憎悪のニオイを嗅ぎ取ってしまうと、反感が生まれます。

そもそも、愛情は強くて、憎しみは弱いから

なぜなら、愛は本能的に強く、憎しみは本能的に弱いからだ。

そもそもです。

愛情は人に対して強く、憎しみは人に対して弱いからです。

 

別の言い方をすれば、

人は、愛情には心を許しますが、

 

憎しみには心を閉ざします。

 

愛情を持つと…

 

人は、愛情を持ってされた行ないを喜び、素直に受け入れます。

ふくカエル

愛情は強いから、人の心を扉を開けるねん、

ふくネコ

ほんで、人を無防備にさせるねん。

 

憎しみを持つと…

 

逆に、人は、憎しみを抱きながらされた行ないを忌み嫌い、激しく抵抗し拒絶します。

ふくカエル

憎しみは弱いから、人の心の扉をよう開けへんねん。

ふくネコ

代わりに、人を警戒させて、ガードを固くさせるねん。

じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?

まずは、チェックしてみる

 

まずは、自分の今までの行ないをチェックしてみます。

  • 憎しみを抱きながらしていなかったか?
  • 憎悪の感情のはけ口として利用してなかったか?
  • 自分の冷酷な態度を公平なものだと正当化していなかったか?

などをチェックしてみます。

たとえば、ケチをつける

 

憎しみの感情が漏れている場合で一番よく目につくのが、他人やものごとにケチをつけることです。

 

世の中には
「ケチつけマン」は、ほんまに多いねん。

けっ!pose_shitauchi_woman

ふくカエル

ほんま、恥ずかしいねんけど、うちも、そうやねん!

 

プレゼントをもらったとき

 

たとえば、プレゼントをもらったときに症状が出ます。

 

最初の症状は、たった五文字の「ありがとう!」が素直に言えません。

 

ふくネコ

言っていても、いわゆる口先「ありがとう!」です。

 

次の症状が、ついつい陰で言葉に出してしまうのです。

 

こんなんいらへんのに!
かえって荷物になるやん?

だの、

 

あっ!それって、
どこそこで、いくらで売ってたやん!pose_syanikamaeru_woman

だの、ぬかして(訳:言って)、ケチをつけます。

 

これら症状のほとんどが、本人にケチをつけるつもりがないのに出てしまうのが、実に恐ろしいところです。

すべてのことを愛情をもって行なう

 

なので、自分の無意識にしていたものをも含め、

 

憎しみを抱きながらしていた行いのすべてを止めて、代わりに愛情を持ってするようにします。

美しくて愛すべきものを選ぶ

 

具体的には、美しくて愛すべきものばかりを選び、拍手と称賛を送ります。

 

今まで、人やものごとの

  • 醜いところ
  • 忌み嫌うところ
  • 悪しきところ

などを

 

わざわざあら探しをして見つけ出しては、
pose_arasagashi

  • ケチをつける
  • 文句を言う
  • ヤジを飛ばす
  • けなす

といった

憎しみを抱きながらの行ないbakanisuru

全てやめます。

 

そして、代わりに

 

  • 美しいところ
  • 愛すべきところ
  • 良きところ

ばかりに注目して選択し、

愛情を持って行なうhakusyu

ようにします。

そうすると、どうなるのかな?

反感を買うことが少なくなる

 

まず、「愛すべき美しいものをいつも選択して、愛情をもって行なう」ことで、人々から反感を買うことが少なくなります。

 

愛情を持ってする行ないが、人々の心の扉を開いて安心させ、心をどんどん許していくからです。

一番効果的な異議の唱え方を身につけることができる

 

「愛すべき美しいものをいつも選択して、愛情をもって行なう」ことを身につけることで、

 

同時に、悪しきものに異議を唱えるときに、一番効果的な方法を身につけることができます。

 

ちなみに、次のような効果があります。

  1. 公正な姿勢を保てる
  2. 公正な評価ができる

1.「公正な姿勢」を保てる

 

まず、より「公正な姿勢」を保つことができます。

 

ここでの「公正な姿勢」とは、

  • 愛すべき美しいものをいつも選ぶ
  • 忌み嫌うべき悪しきものをいつも避ける

という姿勢です。

2.「公正な評価」ができる

 

次に、「公正な評価」ができます。

 

ここでの「公正な評価」とは、

  • 愛すべき美しいものは、拍手と称賛する
  • 忌み嫌うべき悪しきものは、ひたすら沈黙する

という評価です。

 

これらの評価ですが、悪しきものに異議を唱える上で最も効果があります。

人類の進歩になる

それは、人類の大きな一歩となるだろう。

そして、「悪しきものには、沈黙の評価をする」ことは、人類にとって進歩になります。

沈黙ほど、大きく語るものはないから

 

なぜならです。

 

「沈黙の評価」ほど、
あらゆることを語るものはない!

 

からです。

ふくカエル

ほんまに、上手な異議の仕方やねん。

ふくネコ

ヤジをとばすよりも効果があるねん。

邪な感情を生まないから

 

また、「沈黙の評価」は、邪な(よこしまな)感情を生まないからです。

 

沈黙することで、

  • 評価される側
  • 評価する側

の憎悪が表面化しないからです。

 

自分の中で憎悪に折り合いをつけて表現しなければ、相手には伝わりにくいです。

 

伝わらなければ、憎しみの感情を芽生えさすことも、追い打ちをかける機会もなくなります。

ふくカエル

ヤジをとばして、相手を必要以上に傷つけなくてすむねん。

ふくネコ

そやけど、沈黙やから、ある意味とてもつらい評価になるかもしれへん。

自然淘汰されるから

 

さらにです。

「沈黙の評価」によって、忌み嫌うべき悪しきものは、自然淘汰されるからです。

 

本当に忌み嫌うべき悪しきものについては、一切選択せず、沈黙する評価の仕方が広く一般化すると、

 

ふくカエル

ちなみに、ここでの忌み嫌うべきとは、

ふくネコ

取り立てて議論する余地がないもののことです。

 

忌み嫌うべき悪しきものはとりあげられないので、どんどん目に触れることがなくなり、

 

そのうち存在価値がなくなり、消滅します。

 

ふくカエル

自然に滅びていくねん。

ふくネコ

自然にフェードアウトするのが一番ええねん。

 

 

ちなみにですが…

 

ちなみにですが、

 

多くの人が関わる大きな問題については、もちろん異議を唱える声を上げる必要があると考えてます。

 

ただ、個人レベルの問題(忌み嫌うべき悪しきもの)については、

 

ことさら声をあげて事を荒立てる必要はないと思うのです。

 

あまりに酷い声は、ひぼう中傷を引き起こすかもしれません。

 

なので、あくまでも、その人の「個人に関する課題だ!」と理解して、

 

静観と沈黙による自然淘汰が好ましいのではないかと考えています。

 

まとめてみたkerokero

 

  • 人から反感ばかりを買うときは、自分の行ないを振り返って考えるのがいいです。
  • 愛情を持ってしていたかどうか? 憎しみを抱いてしていたかどうか?を考えてみます。
  • そして、憎しみを抱いてしていた行ないの全てを、愛情を持ってする行ないに変えます。
  • 人の心の扉を開き、反感を買うことが少なくなります。
  • また、悪しきものに異議をとなえる効果的な方法を身につけることができます。

 

ついついやってしまうのが、頼まれてもないのにしてしまう酷評」です。

 

たとえば、

  • 手厳しく批判する
  • くそみそに言う
  • こきおろす
  • 切って捨てる

です。

 

ほとんどの場合、本人は良かれと思ってやってます。

  • 相手ために良かれと思ってやっている
  • 自分の正義心からやっている

 

でも、この「酷評」の根底に確実にあるのは「相手への見下げた感情」です。

 

だって、頼まれてないのに、
するねんで。
相手にとっては「余計なお世話」やねん。komatta_man2

本人は、全くの善意でやっているので、質(たち)が悪いのです。

 

自分の中にある「憎しみの感情」に気づいていません。

 

もし、あちゃ~!やっとったわ!bikkuri

と、頼まれてもいないのに「酷評」したくなった自分に気づいたら、

 

「要注意や!」と思ってください。

 

そして、自分の中にある「憎しみの感情」に気づいて、「酷評」を考え直して欲しいです。

 

どうしても自分の評価をお節介にも伝えたいのなら、

 

自分がされたらどうなのか?」を基準に、評価の仕方に「工夫」を加えるといいです。

 

たとえば、

〇〇はいいよ。

 

〇〇もさすがだ。

 

〇〇にいたっては脱帽だ。

 

そやけど、〇〇は、ちょこっと考え直した方がいいと思うよ。

 

いい方向に工夫ができたら、もっと良くなると思うよ。

といった感じです。

 

相手の良いところをたくさん取り上げて評価して、至らないところは厳選してちょこっと評価するのです。

 

これが、「愛情をもって行なう」ことにつながると思います。

 

ただの「酷評」は、

 

相手に「自分の憎しみの感情」をぶつけてるだけで、

 

いわゆる「マウンティング」にすぎず、

 

「まったく相手の気持ちを配慮できてない証拠や!」と、

 

うちは考えてます。はい。

 

今日も、偉そうなことを言って、ごめんよ。素早いスライディング土下座

ふくネコ

最後まで、読んでくださってありがとうございます。

またのお越しをお待ちしております。

ふくカエルでした。

なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。