悲しみの中に美しさを求めちゃダメです!
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
悲しみと美しさは近い?
人は「悲しみ」の中に美しさを求める傾向があるみたいです。
美談として語り継がれているもの中にも悲劇が沢山あります。
文学の世界でも悲劇の物語が沢山あります。
それにです。日本語にも「もののあわれ」という言葉があります。
「もののあわれ」とは、悲しみやしみじみとした情感の中に美しさを見つけて、深く感動することです(ちなみに、これはふくカエルの解釈です)。
いろいろな悲しいことを「なんとまあ!」と感じ入ることです。
「源氏物語」を読むと、「あっぁ~何でこうなるん!」「なんでこうなん?」「あ~!」ってなるよね。
あの有名なチャップリンさんも名言を残しています。
「美しさの中には、必ず悲しみがある」
です。
昔から「悲しみ」と「美しさ」はとても近いようです。
でも、ダメなのです!
舐めとったらアカン
でもです。
悲しみの中に
美しさを求めたらアカンのです。
悲しみって美しすぎる~~!
なんて、素人が舐めとったらアカンのです。エライ目にあります。
たとえば、こんな目にあう!
何もできなくなる
まず、「悲しみ」に美しさを求めるようになると、そのうち何もできなくなります。
なぜなら、
悲しみに囚われて
なんも出来なくなるねん。
からです。
どんどん「悲しみ」の闇(やみ)にハマって、抜け出せなくなります。
どんどん不健康になる
次に、どんどん不健康になります。
心や身体が美しくなるどころか、どんどん不細工になっていくのです。
たとえば、
- 肌がボロボロになる
- 毛が抜ける
- やつれてシワが増える
- 夜は眠れない
- 泣いてばっかりで目が貼れる
- 身体がむくんですごいことになる
- 虫歯になる
などです。
ふくカエル
ふくネコ
生気を吸い取られて、干からびる
さらに、「悲しみ」に生気など精神的なエネルギーを吸い取られて、干からびてしまいます。
希望など前向きな気持ちを根こそぎやられてしまうのです。
ふくカエル
ふくネコ
こうなったら、
時すでに遅しやからね。
ほんまにアカンと思うのが、
ドラマか何かの悲劇のヒロインになり切って、あたかも女優のように振舞うことです。
なんてウチって
美しいやろう!自分で自分に惚れてまうで!
なんていちびる(訳:調子に乗る)と、気がついたときには、どんどん「悲しみ」にどっぷりつかってしまって身動きとれなくなります。
ほんまに恐ろしいことです。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
そんなもん、
最初から最後まで
悲しみで美しいのは、
ドラマの女優だけやで!
現実を見て!
はよ目を覚ませ!
なのです。はい。
どんどん後ろ向きになる
また、どんどん後ろ向きになります。
悲しみにどっぷりハマると、後ろ向きの思考パターンが普通になり、思考のバランスが崩れていくからです。
たしかに、悲劇の物語を読み込んでいくと悲しくなります。
でもです!
悲しい物語やった
非常に美しき物語やった!
という感想だけで終わればいいのですが、
感情移入しすぎて、自分の日々の暮らしまでも悲しみに明け暮れて過ごすのは、度が過ぎてると思うのです。
後ろ向きの思考パターンは、自分の行動や習慣、性格までもどんどん害していきます。
簡単には直せない思考の癖につながります。
チャンスを潰す
そして、自分の人生のチャンスを潰すのです。
後ろ向きの思考パターンに毒されてしまうと、
チャンスが到来して「いざ正念場」になったときに、後ろ向きな思考が邪魔するからです。
前向きで楽観的な思考にシフトチェンジすることができなくなります。
ふくカエル
じゃあ、どうすればいいのかな?
自分に言い聞かせる
自分にこう言い聞かせることから始めよう。「悲しみはけっして崇高なものでも、美しいものでも、有用なものでもない」と。
アラン「幸福論」より引用
まずは、次の三点を自分に言い聞かせます。
- 悲しみは気高くて尊いものではない
- 悲しみは美しいものではない
- 悲しみは価値あるものではない
頭に叩き込みます。
ふくカエル
ふくネコ
喜びの美しさを探す
死ではなく生を説き、不安ではなく希望を広め、人類のこの上なく大切な宝である喜びを育まなければならない。
次に、「悲しさ」の美しさよりも、「喜び」の美しさを探すようにします。
たとえば
「死」の悲しさに美しさを求めるよりも、
「生きる」喜びに美しさを求めます。
「不安」の悲しさに美しさを求めるよりも、
「希望」の喜びに美しさを求めます。
喜びを明日の希望に変える
そして、どんどん喜びを育てて、喜びを自分の明日の希望に変えるようにします。
悲劇のヒロインを気取るよりも、
希望のヒロインを気取ります。
このほうが、絶対にいい人生を歩むことができます。
ちなみに、
これって、
偉大で賢い人が伝えてきた
秘訣なのです。賢い人はみんな
こうしているらしいねん。
昔から偉くて賢い人は、「悲しみ」に美しさを求めようとすれば、おのずと自分の希望の光を消し去ることに気づいていたそうです。
なので、喜びに目を向けて、「悲しみ」自体を消し去るように努めたそうです。
ふくカエル
そうすると、どうなるのかな?
喜びが、悲しみを消し去ることに気づく
- 悲しみが強ければ、希望の光が消される
- 喜びが強ければ、悲しみを消し去る
ということに気づきます。
- 「悲しみ」に美しさを求めないようにする
- 悲劇のヒロイン気取りにならないように努める
- 代わりに「喜び」に美しさを求めるように心がける
など、自分の関心事が「悲しみ」から「喜び」にシフトすればするほど、どんどん「悲しみ」が消えていきます。
ふくカエル
ふくネコ
自分がすごく楽になる
そして、自分がすごく楽になります。
これも、自分の関心事が「悲しみ」から「喜び」にシフトすることで、後ろ向きな思考パターンが、前向きな思考パターンに戻るからです。
ふくネコ
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第1章 不安と感情について」
「No.36 悲しみを尊ばない」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 「悲しみ」の中に美しさを求めたくなりますが、やめたほうがいいです。「悲しみ」の呪縛から抜け出せなくなるからです。
- 「悲しみ」に美しさを求めるよりも「喜び」に美しさを求めるのがいいです。これは偉大な賢人の秘訣です。
- 「喜び」は明日の希望の光になります。
- 関心事が「悲しみ」から「喜び」にシフトすると、自分自身が楽になります。
「悲しみ」を宝石にしたくなる気持ちはよく分かります。実際に美しい部分もあるからです。
でもです。
「悲しみ」を宝石にしてはダメです。
なぜなら、「悲しみ」は、すぐに宝石にはならないからです。
ふくカエル
それよりもです!
今すぐ宝石にできる「喜び」に目を向けたほうがいいです。
「喜び」は、ほとんどのものがすぐに宝石になります。それにキラッキラッと輝きます。
なので、「人生の喜び」をすべて宝石に変えてどんどん集めるのがいいです。
ふくネコ
一番いいのは!
「喜び」の宝石を集めている間に、「悲しみ」をこっそり熟成させておいて、最後に「大きな宝石」にすることです。
これが正解のような気がします。
…と思うねんよ。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。