待つのではなく、自ら行動すること
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
この記事をご覧くださる方へ、
ふくカエルからのお願いです。
今回のテーマは、非常に重たいテーマとなっております。
なので、今、ちょっと凹んでいて、ナーバスになっている方はご遠慮くださいますように…。
たぶん、精神的にしんどくなると思うからです。
ただでさえ凹んでいるときに、さらに元気がなくなるのはほんとに申し訳ないからです。
人は必ず死ぬ!
人は必ず死ぬんやで!
と、こんなことを言うと、
まじ? どないしたん!
頭、大丈夫?
と言われちゃうのがオチです…そやけどです。
悲しいかな…
人は必ずいつかは死にます!
そして、「自分の死」について一度でも考えたことがある方なら、次のような事もご理解くださると思います。
これを突きつめると…
ほんまに耐えられなくなるねん!
今はこんなに元気なのに
気づいたら「いつ死ぬか分からない空間」に無理やり押し込まれて、
ある日突然「天からの指令」で一方的に命を奪われるのです。
この指令(運命)には決して逆らえず、ただただ何もできずにその時を持つしかありません。
いつ来るか分からないものを待つことは、非常に不安で恐ろしいことなのです。
ふくカエル
ふくネコ
そやけど!
したほうがいいことがあります!
誰でもいつかは死にます。この真実は曲げられません。
そやけどです!
ただただその時をじっと待っとったらアカンと思います。
なぜなら、自分の中身がどんどん腐敗するからです。
なので!
こんなときだからこそ
したほうが
いいことがあるのです!ほんで、
お知らせしたいのです!
したほうがいいこととは、これ!
これです!
待つのではなく、自ら行動する
アラン「幸福論」より引用
ただ死を待つのではなく、自分から果敢に行動する!
ことです。
とにも、かくにも
行動せなあきません!
なぜ、待つのではなく、行動しないとダメなのかな?
なぜ行動したほういいのか?について、次の5つのことをお知らせしたいです。
1.ただ待つのは、耐えられないから
まず、ただ「自分の死」を待つのは、耐えられないからです。
いつ来るか分からない「自分の死」を恐れてじっとしていると、どんどん恐怖心が煽られ、そのうち精神的に耐えられなくなります。
「自分の死」という
「ちゃんと見えないもの」は、
怖がれば怖がるほど
ほんまに「恐ろしい存在」に
なるねん…
2.死の誘惑に負けそうになるから
次にです。このような精神的に耐えられない状況が続けば続くほど、
「自分から死を求める誘惑」に負けそうになるからです。
死神が近づいて来るねん…
「こんなんなら、いっそうのこと死んだ方がマシだ!」と考えたくなります。
日々恐怖に怯えて暮らすよりも、
いっそう自分で天国に行ったほうが
楽なんちゃうかな?
と異常なことを考えてしまうのです。
ふくカエル
ふくネコ
3.本当に病むから…
つまりです…
本当に精神的に病むからです。
ほんまに病むねん…自分はそんなことないわ!
なんて舐めとったら
アカンです。
なので、このような状態になる前に一刻も早く行動を起こして、気を反らせたほうがいいのです。
4.また…攻撃的になるから
以上とは別に
とても厄介なことに…
なにも行動せずブラブラしていると、ややもすれば攻撃的になりやすいからです。
たとえば、
- 気がむしゃくしゃして、他人に挑発的な態度をとる
- あたり構わず八つ当たりをする
- 意味なく暴力に訴える
とかです。やたら人や物に攻撃的になります。
ふくカエル
そらもう、ものすごく
やっかいな「化け物」になる…
こんなことをしたり…
こんなことをしたり…するねん…
ふくカエル
ふくネコ
このような「厄介な化け物」なれば、呼ばなくてもいい「身の危険」を自ら引き寄せ、ますます「自分の命」を危険にさらします。
もっとも、当の本人には「自分の命」危険にさらしたいという意識はないのかもしれません。
むしろ「どんなことをしても、自分だけは死なない、大丈夫だ!」という根拠のない自信があるのかもしれません。
あるいは、ただ軽い気持ちで暇つぶしにスリルを味わいたいだけなのかもしれません。
そして、スリルを味わうことで「自分の生」を確認しているのかもしれません。
ふくカエル
でもです。
以上のようことは、冷静に見れば「自分の命」を危険にさらしていることには間違いないです。
ふくカエル
他人や物に危害を加えて「自分の命」を危険にさらすよりも、
他人や物に、自分に何かプラスになるような行動をしたほうがいいと思うのです。
5.それに、そもそも行動できる度胸があるから
人には度胸がある。時たまそうだということではなく、根本的にそうなのである。
それにです!
そもそも、人には、行動できる度胸が備わっているからです。
これは、
どんな人でも備わっているねん。
どんな度胸かと言うと…
いつ来る分からない死に対する恐怖心を振り払い、
いつ遭遇するか分からない死への危険をもろともぜず、
勇気を振り絞って果敢に行動できる度胸です。
このような本能的に備わっている「度胸」をみすみすムダにしてはいけないと思うのです。
たしかに、どんな人でもあれこれと危険を意識しだすと、どんどん行動できなくなります。
たとえば、
あそこにある石が飛んできて
頭に当たって死ぬかもしれへん…
乗る電車が…。走っている車が…。
横に立っているビルが…。
目の前のフォークが…。
とかです。
以上のように考え出すと、ほとんどの人が怖くて怖くて何もできなくなります。
恐ろしゅうて、毛が抜ける…
恐ろしゅうて、腰が抜ける…
でもです!
安心してください!
ふくカエル
人には、このような状況を打開する度胸が、本能的にあるようです。
というのはです…
人類の先祖が、過酷な環境にひるむことなく幾度なく挑戦して生き延びてきた
という歴史が、わたし達の身体に中に脈々と息づいているからです。
ふくカエル
ふくネコ
そうなんじゃ。そうなんじゃよ。
ウチは思うんじゃよ…
じゃあ、行動するにはどうすればいいのかな?
死を待つことをきっぱりと止める
まずはです。
自分から果敢に行動するためには、何もせず「自分の死」をじっと待つことをきっぱりと止めることです。
意識して
きっぱりと止めるのがコツです。
金輪際(こんりんざい)止める!
コツは、じっと待つことは、本当に何も生まない(非生産的)ことに気づくことです。
「自分の死」に関しては…
じっと待つことは何も手にすることがないことに気づけば、きっぱりと止めることができます。
覚悟する
次に、「自分の死」を覚悟します。
別の言い方をすれば、「自分が、いつ死んでもいいように」日頃から構えておきます。
ふくカエル
ふくネコ
自分の度胸を信じる
さらに、自分には、あらゆることに勇気を持って果敢に挑戦し「自分の人生」を生き抜き度胸が備わっていると信じます。
あたしにもあるぞ!あるぞ!
きっとあるに違いない!
と強く思うことです。
- ビビらない勇気
- 強い決断力
- 実行力
- 忍耐力
- 揺るがない強い意志
が備わっていると確信します。
いつも満たされている暮らしをする
また、
- いつ死んでも、後悔しないように
- いつ死んでも、満足して逝けるように
普段から何ごとにも真剣に生きて、充実感や満足感で満たされる暮らしをするように心がけます。
いつでも「やり切った感」を常に感じるようにしておきます。
今日も、頑張ったで
自分の実力を出し切ったた!
この実感を増やします。
じゃあ、満たされた暮らしをするには、具体的にどうする?
自分の手を動かす
いつも満たされた暮らしをするには、
とにかく、実際に自分の手足を動かして仕事をする
ことです。
わたしは、結局のところこれに尽きるのではないかと思っています。
一から自分の手足を動かして、汗をかいてした仕事ほど、充実感や満足感を感じるものはないと思うのです。
これは、たとえ失敗しても同じだと思います。
自分で頑張った時間は、自分を決してうらぎらないからです。後から役立つことは計り知れないからです。
むしろ、失敗の後に成功のやり切った感(充実感)はとてつもないです。
果敢に挑戦する
次に、いつ死んでも自分が納得できるくらいに日々果敢に挑戦し、自分ができる最大限の努力をします。
ほんまによくやったよな!
ぼくってほんまエライ!
と自分の最期に思えるくらいに、目の前のことに全力を傾けて頑張ります。
目標を持って、絶えず達成する
また、自分の目標を絶えず意識して、絶えず達成することに全身全霊(体力と精神力の全て)を注ぎます。
ふくカエル
あとはひたすら繰り返す
あとは、
- 目標を立てる
- 努力する
- 小さくても達成する
- 自分の成果を積極的に心から喜ぶ
このプロセスをひたすら繰り返します。
自分の立てた目標に向かって努力し、どんな小さな達成でも自分の成果を実感し、そして心の底から喜ぶプロセスは、人生にとって本当に大事なプロセスです。
そうすると、どうなるのかな?
心が平和になる
まず、「自分の死」をじっと待つのを止めて、自分で果敢に行動するようになると、心も体も非常に平和になります。
日々のくらしが平和に満たされ、明るい生活になります。
穏和になってくる
次に、平和で明るい生活を過ごすことで、自分の性格がどんどん穏和になってきます。
ささくれた気持ちが
スッキリさわやかになるねん
自分でビックリするくらい精神的に穏やかになってきます。
恐怖心が小さくなる
このように精神的に穏やかになってくると、「死の恐怖心」がどんどん小さくなってきます。
「死を求めようとする誘惑」を克服できる
さらに、「死の恐怖心」が影をひそめると「自分から死を求める誘惑」を克服することができます。
ふくカエル
ふくネコ
これは、ほんま!
死に対する妥当な考え方ができる
また、
「自分の死」について妥当な考え方をする
ことができます。
おそらく
これが正解とちゃうかな?
という考え方をすることが
できるねん。
「自分の死」というものは、
- 絶対にコントロールできないもの
- ある日突然、当然の顔をしてやってくるもの
であるから、
恐怖心を持つのではなく、素直に「自分の死」受け入れる覚悟をするのが、たぶん正解であること。
いつ来ても自分が後悔しないように、自分が納得できるように、今この瞬間を真剣に生きることがたぶん正解であること。
「自分の死」を考える視点を通して、
「自分の生」の素晴らしい価値を発見することが多分正解であること。
「死」を考えるよりも
「生」を考える
素晴らしさに気づくことが多分、正解やで
どんどん度胸がパワーアップする
自分から果敢に行動するようになると、自分の度胸がさらにパワーアップします。
度胸がパワーアップすれば、自分でも驚くような大胆な行動もできるようになります。
ふくカエル
ふくネコ
果敢に自分の人生を責めることができると、大きなことに挑戦しようという対戦意欲が出てきます。
びびりや引っ込み思案も克服できるきっかけになるかもしれません。
行動する価値にも気づける
そして、行動する価値にも気づきます。
ふくカエル
行動する価値に気づけると、さらに次のように思考が変化してきます。
遅かれ早かれいずれは死ぬのであれば、自分の未来に果敢に挑戦し「自分の人生」を全うしようと思えたり…
行動しないで後悔するよりも、行動して後悔しようと思えたり…
自らの手で扉を開けられる可能性が少しでもあるのなら、自分の手で開けようと思えたりします。
すると、ぼぉ~と過ごすよりも、行動しなあかんと思えるのです。はい。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第4章 行動について」
「No.88 待つのではなく、自ら行動する」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 人は必ずいつかは死にます。
- そうだとすれば「自分の死」をただ待つのではなく、果敢に自分の「人生の課題」に向かって行動するほうがいいです。
- 人には、危険をかえりみず目標や目的を達成できる原動力となる「度胸」が備わっています。
「自分の死」というとても重いテーマを考えてみました。
わたしは、いつも感じ、いつも思うことあるのですが、
- 「自分の死」を考えたことがある人
- 「自分の死」を常に意識している人
には、本当にふざけた人がいません。
本当に真面目な人ばかりで、毎日毎日を必死に生きています。
よく
今付き合っている恋人や友人が、
いったい何を考えているのか分からない!
と悩んでいる人がいます。
本当に悩んでいるのだったら、今回の内容である「自分の死」について、相手に尋ねてみてはどうでしょうか?
相手がどのような考えを持っているのか?
一度さりげなく質問してみてください。
相手からの答えに「その人の本質」が見えてくると思います。
速攻で分かるのが、
- 今まで考えたことがない人
- 上っ面な考え方をしている人
というような人はまともに答えられないことです。
たいていの人は答えに詰まったり、
- 「それは、その時になった時に考えるわ」だの
- 「そんなん考えるの、暗くない?」だの
- 「そんなん老後でええのとちゃう!」だの
- 「OK!大丈夫! 簡単に死なへんから考えへん!」だの
とゴマ化します。
質問した後は…
相手の答えを聞いて、自分が納得できるかどうかで、今後の自分の「とるべき行動や態度」を判断すると意外といいです。
これって、
ほんまに「究極の方法」やねん。
そやから、
こっそりとお知らせしときます。
ほんまに内緒やで…
特に結婚相手を選ぶときに
参考にしてね…
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。