「幸せ」と「快楽」は、区別するといいよ。
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第4章 行動について」
「No.99 幸せと快楽は別ものである」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
幸せと快楽は別ものである
このふたつには、拘束と自由ほどの差がある。
アラン先生「幸福論」より引用
今、楽しければいいじゃん!
今、楽しければいいじゃん!
と人から言われると何も言えなくなります。
確かにそうだからです。
そして、どうも人は、
- 「楽」な方へ
- 「心地よい」方へ
と、流れちゃう習性があることを自覚しているからです。
自分もそうやし、
エラそうなこと言えないねん!
カエル風アラン先生の言葉
こんなときに、アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
今が楽しければいいねん。
と人は言うけど、
楽しみにも
いろいろあるねんで。
「幸せ」の楽しみなのか?
「快楽」の楽しみなのか?
このところをちゃんと区別して
行動しなアカンよ。
そもそも「幸せ」とは?
まず、存在するもの
まず、「幸せ」は存在です。
わたしは、今とても幸せだ!
と喜びを感じれば、
「幸せ」はたしかにここに存在し、実感できるものになります。
次に、全くオリジナルなもの
次に、「幸せ」は全くオリジナルなものです。
わたしは、今とても幸せだ!やり切った感があって
幸せやねん。
と思えば、どんなに見た目はボロボロであっても、
そこにはその人が感じるオリジナルな幸せが存在します。
人それぞれには「自分の幸せ」を感じる基準があり、違いがあるのが当然なのです。
ふくカエル
ふくネコ
そして、自由なもの
そして、「幸せ」とは、全く自由なものです。
人が、それぞれ自分の基準にしたがって、
「自分の幸せ」を自由につくり出すことができます。
ふくネコ
ふくネコ
図解するとこんな感じ!
ちなみに、「幸せ」を図解するとこんな感じです。
「幸せ」には、
- 喜びや楽しさの中にある幸せ
- 苦悩や忍耐の中にある幸せ
があります。
ふくカエル
一方「快楽」とは?
満足を必要とするもの
まず、「快楽」とは、満足を必要とするものです。
- 人間的な欲(食欲・睡眠欲・性欲)を満たす「肉体的快楽」
- 知識が増えることで得られる「精神的快楽」
- 人助けによって得られる「他人の幸福により得られる快楽」
などを満足させることによって、湧き上がる感情です。
満足できなければ、欲求不満を抱え込むことになります。
継続を必要とするもの
次に「快楽」とは、継続を必要とするものです。
「快楽」は中断してしまえば、その時点からだんだんと消えてしまうものが多いです。
常に「快楽」を感じるためには、
- 動機づけとなる強い衝動や欲求
- 飽くなき満足感
などの継続を強いられます。
ふくカエル
そして、拘束するもの
そして、「快楽」とは、拘束するものです。
「快楽」には、人を虜にする依存性があります。
ふくネコ
ふくカエル
図解するとこんな感じ!
ちなみに、「快楽」を図解するとこんな感じです。
「快楽」には、
- 喜びや幸せに直結する善良な快楽
- 悲しみや不幸せに通じる邪悪な快楽
があります。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
でも、なぜ区別したほうがいいのかな?
混同すると、幸せをはき違えるから
「幸せ」と「快楽」を区別しないで混同すると、「幸せ」の意味をはき違えるからです。
たとえば、
- 「苦労の先にある幸せ」を軽視する
- 「悪質な快楽」を求めて、道を誤る
といった間違いを犯します。
上手に「自分の人生」を生きるためには、ちゃんと区別しておくのが大切です。
1.「苦労の先にある幸せ」を軽視する
まず、苦労の先にある「幸せ」を軽く見てしまいます。
ふくカエル
あらゆる苦痛や葛藤を経験した先にある「大きな幸せ」を避けたりします。
この図解でいうと「灰色」の部分になります。
- 必死に努力する
- 長年の試練に耐える
- 苦痛や葛藤に苦しむ
などの苦々しい経験した先にある「幸せ」です。
大きな喜びを得られる「幸せ」なのですが、
自分がわざわざ経験する価値はないのではないかと考えてしまうのです。
ふくカエル
2.「悪質な快楽」を求めて、道を誤る
次に、「悪質な快楽」を求めて、人生の道を誤ってしまいます。
ふくネコ
元通りに戻れない「劣悪な快楽」を求めすぎて、邪悪な道に進んでしまうことです。
この図解で言うと、「灰色」の部分です。
- 自分の「快楽」を優先しすぎて、他人の「幸せ」を破壊する
- 法律を犯してまで、「快楽」を求める
- 倫理や道徳に反してまで、探求心という名のもとに「快楽」を求める
十分に悪いことだと認識しているのに、「快楽」を求めてしまうことです。
「マッド・サイエンス(狂科学者)」
は典型例かも?
区別すると、どうなるのかな?
うまく行動できる
「幸せ」と「快楽」を区別して生きると、うまく行動できるようになれます。
苦痛や葛藤を乗り越えた先に「大きな幸せ」があることに気づくことで、
目の前にある苦労や葛藤に挑む勇気が出てくるからです。
そして、勇気もってこの苦労や葛藤を経験することで、「自分の人生」に深みが増してきます。
あるいは、
「悪質な快楽」を正当化する間違いに気づくことで、
目の前にある誘惑を徹底的に避ける強い意志が出てくるからです。
そして、強い意志を持って徹底的にさけることで、「自分の人生」を汚さずにすむのです。
まとめてみたkerokero
- 「幸せ」と「快楽」はまったく別物です。
- 混同せずに、この二つを区別することで、うまく行動することができます。
「幸せ」と「快楽」は違うよな?
と感覚的には思っていても、なかなか区別できません。
重なっている部分もあるからです。
なので、重なっていない部分を理解して、意識していればいいみたいです。
「幸せ」と「快楽」の問題はむずかしいです。
これから先に「そうなんだ!」と学ぶたびに、ここに記していこうと思います。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。