言葉を厳選してみたよ 26
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第5章 人とのかかわりあいについて」
「言葉を厳選してみたよ」
今回は、
今回は、アラン先生の「幸福論」の第5章の126~130について、
ふくカエルの独断と偏見で「これだ!」と思った「アラン先生の言葉」を選びました。
その言葉に対して、自分の考えをお伝えするというスタイルにしてみました。
ふくカエル
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
126.悪口を信じるのも感情のせい
アラン先生の知恵とは?
悪口を信じるのも感情のせい
【根拠はこれなの!】
それは感情がうまく理性に訴えるからであり、人は、なにも考えずに口に出してしまうことばに、かならず意味のようなものを読みとってしまうからなのである。
悪口は気になるもの
悪口というものは気になるものです。
ついつい深読みしてしまう!
なので、人は、いったん「悪口ではないか?」と疑ってしまうと、
相手の言葉をついつい深読みしてしまうのです。
ふくカエル
たとえ、相手が何気な~く言った言葉だとしても、
「何か特別な意味があるにちがいない」と裏を読みたがるのです。
なんか、意味あらへんか?
そして、信じ込む
そして、厄介なことに自分の深読みを信じ込みます。
真実は、ただの憎まれ口にすぎず、そこには特別は悪意がなかったとしても、
- 自分に向けた悪口にちがいない!
- 嫌味や当てつけを言ったにちがいない!
と強く信じるようになるのです。
でも、これは感情の仕業!
でもです。
このように
- 気になる
- 深読みする
- 信じる
のは、すべて自分の感情の仕業なのです。
感情が理性に働きかける!
ここでの仕業とは、自分の感情が「理性」にうまく働きかけて惑わすことです。
お前の悪口を言っとたで~!
あれは、間違いない。
お前への悪口や
ふくネコ
だから、感情につけ込まれないようにする!
だからです。
自分の感情につけ込まれないようにすることが、大事になります。
具体的には、次のことに気をつけます。
- 相手の言葉のひとつひとつに過敏に反応しない
- 深読みに誘導する自分の感情を叩き潰す
敏感に反応するのも、深読みするのも、すべて自分の中の「ナーバス(神経質)な感情」の仕業だと悟るのです。
ナーバスになるのは、
- 自信がない
- 臆病
- 怖い
- 体調が良くない
などいろいろな原因があるので、突き止めて叩き潰してやりましょう!
ナーバスな感情は
いらんのじゃ!と叩き潰そうじゃないか!
冷静に分析するのもNG!
それから、もう一つ!
「悪口か、どうか?」を判断するために、相手の言葉を冷静に考えようとするのもダメです。
何でこんなことを
言ったのかな?
相手の気持ちになって
想像してみようかな?
な~んても、実はダメなのです。
ふくカエル
これこそが、
自分の感情が「理性」に
うまく働きかけている状態
なのです!
ふくネコ
感情が、理性をうまく利用して、
「冷静に分析する」にかこつけて(都合の良い口実をもうけて)、「悪口の沼」に引きずり込もうとしているのです。
どんどん悪口が気になる術に
陥っているねん。
引きずられやすい人は、アカンよ!
なので、
「自分は感情に引きずられやすい性格」だと思っている人は、相手の言葉を冷静に考えようとしてはダメです。
必ず、引きずられてしまいます!
ふくカエル
相手の気持ちを冷静に考えるフリをして、相手の「悪意のカケラ」ばかりを探すようになります。
ふくネコ
自分の「精神的な弱さ」を正当化したいがために、「相手の邪悪さ」を見つけて納得したいのです。
ふくカエル
ふくネコ
「今の自分はクヨクヨして弱いな」と自覚しているときは、このことに気をつけるのが一番です。
こんなときは
黙殺するに限るねんで。
それが一番賢いと思うねん。
127.憎まれ口を笑いとばす
アラン先生の知恵とは?
わたしたちは、このような思いつきの憎まれ口を笑いとばせるようにならなくてはいけない。
【根拠はこれなの!】
ところが、ほとんどの人がこの感情の無意識的行為についてなにも知らないから、なにもかも額面どおりに受けとる。憎しみはそこから生まれる。
ほとんどの憎まれ口は、思いつき
憎まれ口は、ほとんどが思いつきです。
- 気がむしゃくしゃしていた
- 別のことでイライラして、八つ当たりした
といった、別の理由がある場合が多いです。
ストレスなど抑え込んでいた感情が、憎まれ口のカタチでポロっと出てしまうのです。
だから、悪気がない
だから、ほとんどの憎まれ口は悪気がないです。
ふくカエル
でも、額面どおりに受けとると大惨事
でもです。
とは言っても憎まれ口には、言葉に「とげ」があります。
なので、額面どおりに受けとると、そりゃもう大惨事になります。
「とげ」のある言葉が、深い憎しみや怒りの感情を生み出すからです。
だからこそ、笑い飛ばす!
こんなときだからこそ、笑い飛ばすのが一番です。
笑い飛ばせば、「トゲ」のある言葉を自分の目の前で遮断できます。
憎しみなどの「負の連鎖」を叩き壊せるのです。
わたしは、
憎まれ口を笑い飛ばせる人が
ほんまに「一番強い人」やと
思っとります。
128.相手にしない
アラン先生の知恵とは?
そのことさえわかれば、悪口にはそもそも意味がなく、いちいち理解する必要もないことがわかるだろう。
【根拠はこれなの!】
実際、どんな悪口も、ちんぷんかんぷんのたわ言でしかない。
わめき散らすこと
くそったれ!
馬鹿野郎~~!
よく大声でわめき散らす人がいます。
ふくカエル
ふくネコ
お互い様の面もある
この大声でわめき散らす行為ですが、実はお互いさまの面もあるのです。
程度の差はあっても、誰もがわめき散らすことがあるのです。
日頃のたまったストレス、怒り、不満、不安などを発散する効果があるからです。
それに、他者に危害を加えないようにし、相手を傷つけつけずに、人間関係を損なわないという効果もあるからです。
ふくカエル
ふくネコ
相手にしないのが賢いぞ!
とは言ってもです!
大声でわめき散らされるのは大迷惑です。
意味不明の言葉をがなり立てられても、内容がチンプンカンプンで理解できません。
ふくカエル
なので、大声でわめき散らされたときは、とにかく相手にしないのが賢いです!
逃げたらいいねんで。
相手にせえへんのが賢いねん。
わめき散らされたら、そっと逃げて隠れます。
そして、相手が落ち着くまで、様子をうかがいながら、のぞき見するのがベストです。
これを「逃げるが勝ちじゃ!」
と申します。はい。
129.思いやりを持つ
アラン先生の知恵とは?
人がいきていくのを手助けすること、自分が生きていくのも手助けすること。
【根拠はこれなの!】
親切な行為は喜びの種である。愛は喜びなのである。
大切な人を失ったとき
大切な人を失ったときは、とても悲しいです。
この世のものとは思えないほどの悲しさを味わうことになります。
こんなに涙って出るんやと思ってしまうよね。
でも、わたし達は生きている
でもです。
残されたわたし達は、現に生きています。
ふくカエル
だからこそ!
生きているわたし達には、まだやらなければならないことがあるのです。
立派な人生を送ること!
それは、立派な人生を送ることです。
誰が何を言おうと、この「課題」だけは果たさなければなりません。
ふくカエル
3つのポイントがあるよ!
立派な人生を送るためには、3つポイントを押さえておく必要があります。
- 悪い方へ考えないこと
- 人生のちょっとした不幸について吹聴しないこと
- 他の人にも、自分にも親切であること
です。
簡単なことのようですが、実践するのはむずかしいものです。
すると、喜びと愛が生まれる
この3つのポイントを押さえて実践するとですね、喜びと愛が生まれるのです。
とくに、他の人や自分が「生きるのを手助け」すると、この喜びと愛が生まれます。
これ、ほんまやで。
たった3つのことやけど
バカにしたらあかんで。
幸せな人生を歩むことができます。これは本当。
130.礼儀正しさを学ぶ 1
アラン先生の知恵とは?
礼儀正しさは、踊りと同じで、学んで身につけるものである。
【根拠はこれなの!】
所作は、正確でしなやかであるべきだ。型ぐるしかったり、心もとなかったりしてはいけない。ほんのささいな不安でもほかの人に伝わってしまうからである。
人に不安を与えては、礼儀作法といえないのだ。
礼儀正しさは奥が深い
礼儀正しさを身につけることは、踊りを身につけるのと同じくらい奥が深いです。
たとえば、社交ダンスです。
頭の中ではステップを理解できていても、
実際に踊るとなると、これがなかなかうまく踏めないものです。
たいがいは、
- 手足がぎこちない
- 見苦しい
- おどおどする
といった醜態をさらすことになります。
練習と努力が必要
なので、正確でエレガントにステップを踏むためには、相当な練習と努力が必要になってきます。
礼儀正しさも同じ!
また、礼儀正しさも社交ダンスと同じです。
身につけるには相当な練習と努力が必要になります。
礼儀正しさの「決まりごと」や「立ち振る舞い」をまず自分のモノとしなければなりません。
ふくネコ
でも、身につけると・・・。
でも、必死に努力して礼儀正しさを身につけられると、人に安心感を与えられるようになります。
まるで息をするかのように自然に、礼儀正しくとてもしなやかでエレガントに立ち振舞えることで、
ひとつひとつの所作に心を込めることができるからです。
人は、心を込められたものに安心感を覚えるものです。
ふくカエル
大きなことに気づく!
そして、礼儀正しさを身につけると、次のような大きなことに気づくようになります。
それは、
カタチを整えると
自ずから心が込められる!
ということです。
ふくカエル
逆に言えば、
カタチが整えられなければ、心が込められないのです。
礼儀正しさが要求される場合に、不慣れだと
- カタチを整えること
- その場を取り繕うこと
ばかりに気持ちが傾き「本来心を込めて接しなければならない」という、
「一番大事な礼儀」を疎かにするのです。
カタチを整えることに必死で、他のことに気配りする余裕がなくなるのは、ちょっといただけないです。
たとえばお葬式のご焼香です。
ご焼香の作法を知らないと、
どのような順番で何をすればいいのかばかりに必死になって、
残されたご家族への哀悼の意を表すことができません。
ご焼香の所作を体に染み込ませて、自然にすることができて、
はじめて、自分の一つ一つの所作に亡き人やご家族の方への哀悼の気持ちを込めることができるのです。
ふくカエル
ふくネコ
礼儀正しく取り繕うことばかりを意識すると、
どうしても所作に気持ちを込めることを疎かになることに気づけることは、人生において大きいです。
ふくネコ
まとめてみたkerokero
- 「幸福論」第5章「人とのかかわりあいについて」から、テーマ126から130までをご紹介しました。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。