家族が苦しくなったら、重くなったら、考えること
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
たしかに、家族は温かい!
たしかに、家族は温かいです!
病気やケガをしたときは、我が身のことのように気遣ってくれます。
愚痴を言えば、とことん向き合って聞いてくれるのです。
でも、家族の存在が苦しい!重い!
でもです。
ときに家族の存在が苦しくなったり、重くなるときがあるのです。
ほんまに贅沢な悩みなのは
分かっとうねん。
でもな・・・
家族の存在が、
ほんまに重たいねん!家族からの
いろいろな気遣いがな、
ちょっとウザイねん。
と、しばしばぜいたくな悩みに苦しむのです。
そんなときに考えて欲しいこととは!
これです!
- 家族の存在が苦しくなる、重くなる
- 家族からの気遣いがうっとうしい
など、少々困った状況に陥ったときは、次のことを考えてほしいのです。
家族から離れる
家族から離れることだ。無関心な人たちに囲まれて生活するのである。
アラン「幸福論」より引用
思い切って家族から離れる!
一人で生活する!
ことです。
なぜ、家族から離れることがいいのかな?
マイナスの面から逃れることができるから
実は、家族から離れることで、家族にある特有のマイナスの面から逃れることができるからです。
離れることで、新たな価値にも気づくから
また、家族から離れることで、家族についての新たな価値にも気づくからです。
どんなマイナスの面があるのかな?
家族には、次のような特有なマイナスの面があります。
- 過剰すぎる気遣い
- 甘やかしすぎる
- 過剰すぎる干渉
などです。
1.過剰すぎる気遣い
まず、過剰すぎる気遣いです。
ふくカエル
ふくネコ
過剰すぎる気遣いが災いすると、何気ないことが大騒ぎに発展したり、大惨事になったりするのです。
病気で夜が眠れないと自分が勘違いした場合です。
あるいは、最初はごく「普通の風邪」だったのに、
家族の気遣いが過剰すぎて「深刻な病気」にされてしまった
ということはよくある話です。
2.甘やかしすぎる
次に、甘やかしすぎてしまうことです。
この甘やかしがすぎてしまうと、成長したときには、
- かなりの我がまま人間
- とても逆境に弱い人間
- とことん自己中心的な勘違い人間
になってしまいます。
ふくカエル
ふくネコ
- 自己主張が強くなる
- 自分勝手な行動に走る
- 怒られるとすぐに泣く
- 課題を克服できない
- 難しいことが逃げる
- すぐに丸投げする
- 出来ないことは、自分で考えてするのではなく、してもらって当然だと考える
- いつも注目してもらわないと、不安になる
といった非常に面倒くさい人間になるのです。
自分の周囲の人達はすべて、
自分に関心があるちょっと痛い人になるねん。
3.過剰すぎる干渉
そして、過剰すぎる干渉です。
過剰すぎる干渉はいろいろな問題を引き起こします。
プライバシーに無頓着になる
たとえば、個人のプライバシーに無頓着になることです(ついこの間までの日本もそうです)。
今もそうかもしれない。ある一定の年齢を超えても、子どものプライバシーを尊重しないで、干渉してくる親が多いです。
- 人格の問題
- プライバシーの問題
など非常にデリケートな問題まで、遠慮なく首を突っ込んできます。
秘密は、悪になる
過剰すぎる干渉が普通になると、家族間の秘密は、悪となります。
家族なのだから、秘密はダメだ!
家族だからこそ、知るべきなのだ!
といった無茶苦茶な「家族内ルール」がつくられたりします。
ふくカエル
すぐに大騒ぎされる
そして、過剰に干渉しすぎるので、ちょっとしたことでも大騒ぎしていきます。
ふくカエル
表沙汰にして欲しくない恥ずかしいことでも大騒ぎするので、
すぐにみんなの知ることとなり、大きな問題に発展してしまうのです。
ふくネコ
ふくカエル
すると、どのような悪影響が出るのかな?
暗示にかかってしまう
まず、自分が暗示にかかってしまいます。
家族が「深刻なことだ!」過剰に大騒ぎすると、
それに引きずられて、本当に自分も深刻な状態になるのです。
ふくカエル
だんだんと苦痛になってくる
次に、家族からの過剰な気遣いなどが、だんだんと苦痛になってきます。
これが、重症になると、
家族から優しく気遣いされればされるほど、だんだん息苦しくなってきます。
これはまるで、家の中なのに、満員電車の中にいるような息苦しさです。
疎ましくなる!
さらに、苦痛な状態が続くと、どんなに優しい気遣いであっても、
もはや、自分にとっては疎ましいものでしか感じられなくなります。
もう、うっといしいねん!
寄って来んといて!
ってなるのです。
そして、爆発してしまう!
そして、終いには、家族に対して爆発するのです。
もう、かまわんといて!
うるさい!
ほっといてくれ!
なんて荒々しい態度になります。
心が疲れてしまう
こうなると、どんな家族からの優しさや温かささえも素直に受け取れなくなります。
ふくカエル
神経が極端に疲れてしまって、ちょっとした刺激でも敏感に反応してしまいます。
そして、こんな症状が出てきます。
- 感情の起伏が激しくなる
- 直ぐに凹む
- 苦悩することが多くなる
- 疲れやすくなる
- 不眠になる
神経衰弱です。
ふくカエル
じゃあ、どうすればいいのかな?
物理的に離れる
以上のような、自分がちょっとしんどい状態になってしまったら、
まずは、思い切って家族から離れてみます。
無関心な人達に囲まれてみる
この人たちは愚痴などを聞いてくれないし、かえっていつも気分が苦しくなるあの優しい気遣いで見守ってくれることもない。
そして、自分に無関心な人達に囲まれて生活してみます。
たとえば、
- 愚痴を聞いてくれない
- 甘えることが許されない
- 気遣いされない
- 自分で何でもしなければいけない
- 非常に無関心
と言った環境で暮らすのです。
それはもう、愚痴を言おうものなら、逆に反撃をくらうような厳しい環境です。
誰も優しくしてくれないし、気遣いなんてさらさらない環境です。そんな過酷な環境に自分自身を置いて生活してみます。
自分で何でも解決する
そして、自分で解決できるものは何でも、自分で解決するよう心がけます。
ふくカエル
物理的に離れられない場合は!
心理的に距離をおく
どうしても物理的に無理な場合は、心理的に離れてみます。
ふくネコ
次のようなことを心がけます。
- すぐに家族に頼らない、相談しない
- 愚痴をなるべく言わない
- 家族からの気遣いや優しさを期待しない
- 甘い気持ちや依存心を捨てる
です。
1.すぐに家族に頼らない、相談しない
まずは、すぐに家族に頼らず相談しないことです。
ふくカエル
困ったときは、
直ぐに家族に頼らずに、自分なりに解決策を考えます。
その後で、家族に協力してくれるようにお願いします。
また、悩んだときも同じです。
何でもかんでも自分の悩みを家族に相談する前に、自分なりに結論を考えます。
その後で、家族からアドバイスをもらうようにします。
まずは、自分で試みて、自分の力で解決するように心がけます。
2.愚痴をなるべく言わない
次に、家族の前で、なるべく愚痴を言わないようにします。
ふくネコ
愚痴は、家族の心も暗くナーバスなものにし、家族からの過剰な反応を招くからです。
3.期待や依存心を捨てる
また、期待や依存心を捨てることです。
具体的には、
- 家族からの気遣いや優しさを期待する
- 家族だから「やってくれて当然だ!」と考える
といった都合のいい考えや甘い考えを自覚して捨てることです。
家族から離れることができないのは、このような甘い考えが大きすぎるからです。
そもそも「やってくれて当然だ!」ということは、世の中では通用しないのです。
そうすると、どうなるのかな?
強くなる
まず、無関心な人達に囲まれて生活すると、人がだんだんと強くなることに気づきます。
信じられないことですが、自分が元気になります。
なぜなら、誰も構ってくれないという過酷な環境では、誰かが助けてくれるのを待っていたら、
本当に自分が病気になって壊れてしまうからです。
なので、「問題が生じたら、否応なしに自分で解決する」のが当然になります。
小さなことぐらいでクヨクヨしない自分になるのです。
ふくカエル
ふくネコ
少々のことでへこたれへんで!
結構、強くなるねん。
別の言い方をすると、ちょっとずつ、過酷な環境に鈍感になってくるのです。
自分の領域を認識できる
次に、自分の領域をちゃんと意識することができます。
今まで家族という枠組みの中で、自分の領域をうやむやにしていたことが、家族から離れることで目覚めます。
家族の領域と自分の領域を理解して、区別することができます。
たとえば、今まで、お母さん(家族)が踏み込んできたけど、
今では、ちゃんと区別することができるので、自分の問題・課題であると家族に伝えることができます。
逆に家族の新たな価値に気づく
そして、家族から離れて、無関心な人たちに囲まれて生活すると、家族の存在の新たな価値に気づきます。
家族の「無償の奉仕」が、いかに「尊い行為」であるのかに気づくのです。
このような
「無償の気遣い」は
世間には落ちていないことが
痛いほど分かります。
他人は、家族の代わりにはならないことを痛いほど実感するのです。
そして、自分がどれほど恵まれていたかを痛感します。
他人が「無償の奉仕」をチラつかせて近づいてきたとしたら、
それは、おそらく怪しいやつです。
こちらをダマそうとしてます。だから、気をつけてね。
戻る場所があることに感謝する
そして、家族という「戻れる場所」があることに感謝します。
家族から離れてやる!
と思えるのも、自分には家族という「戻れる場所」があるからです。
ふくカエル
ふくネコ
「戻れる場所」がなければ、どんなに戻りたくても戻れないのです。
こういう「家族のありがたさ」は、
家族を失って、本当に自分が孤独になってから気づくねん。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
第5章 人とのかかわりあいについて」
「No.114 家族から離れる」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 家族という存在が重く苦しくなったら、家族から離れることです。
- 家族がもつ特有なマイナスの面を除去します。
- 気分が苦しくなるような家族からの優しい気遣いから解放されます。
- 自分の存在に全く無関心の人たちに囲まれることで、強くなるし、新たな家族の価値に気づきます。
世の中には、このような優しくて温かい家族がそろった家庭ばかりではないことも知っています。
虐待、家庭内暴力などの問題を抱えている深刻な家庭です。
この場合は、本当になるべく早く家族から、物理的にも心理的にも離れてほしいです。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。