思いやりの悪いところも、知っておく。
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第5章 人とのかかわりあいについて」
「No.121 同情しない」
同情しない
思いやりには、人生に悪影響を与えるようなものがある。
アラン先生「幸福論」より引用
思いやり!
「思いやり」とは、相手の気持ちを察することです。
優しい人には、必ず「思いやり」があるとされています。
でもです。
「思いやり」には、悪いところもあるのです。
気づいてた?
カエル風アラン先生の言葉
こんなときに、アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
あのな、「思いやり」って
とてもいい事やねんけどな。
あるねんで、悪いところが!
そこを知っていると
知っていないとでは
これから先の人生が
コロッと変わるねんで。
とくに
今自分に大切な人が
いるんやったら、
ちゃんと「思いやり」の
悪いところを
知っといた方がいいで。
思いやりの悪いところとは、これ!
思いやりの悪いところとは、これ!
「思いやり」には
- ために良いもの
- 悪いもの
の二つの面があります。
「思いやり」の悪いところとは、
「思いやり」から
「哀れみ」や「同情」などを引っぱり出すこと
です。
ちなみに、哀れみとは、
- 相手の境遇を気の毒に思うこと
- 不憫(ふびん)に思うこと
を意味します。
なぜ、哀れみや同情がダメなのかな?
相手の人生に悪影響を与えるから
「哀れみ」や「同情」は、思いやった相手の人生に悪影響を与えるからです。
どんなに、最初は純粋な「思いやり」であっても、
そこに「哀れみ」や「同情」の気持ちが強く入りすぎると
だんだんと相手を惨めな気持ちにさせたり、屈辱を与えることになるのです。
なぜなら、かすかな軽蔑があるから
なぜなら、「哀れみ」には、かすかな軽蔑が含まれるからです。
相手の境遇を気の毒に思う反面で、心ない人は、
- 「かわいそうに」
- 「あいつも終わりだな」
- 「あんな風になりたか、ね~よな」
というような、
耳では聞こえない「心の声」や
鼻では嗅ぎ取れない「心のニオイ」
をかもしだすのです。
そして、惨めな気持ちにさせるから
そして、このような「心の声」「心のニオイ」によって、相手を惨めな気持ちにさせるからです。
ふくカエル
ふくネコ
この人、あたしのことを
可哀そう。お気の毒!
って、心配してくれるけど。
内心では、あたしのことをきっとバカにしてるんやわ!
ふくカエル
と相手を、ふか~く傷つけることになるのです。
人間の間に、はびこるから
そして、なによりも厄介なのは、
このような「思いやりの悪いところ」が人間の間にはびこるからです。
人間は、本来残酷な面があります。
相手を蔑む(さげすむ)ことで、心地よさを感じようとするのです。
ほくそ笑むねん。
心地よさを感じるために、
かわいそうに!
かわいそうに!
かわいそうに!
と連発して「思いやる」フリをして、無意識に辱めて(はずかしめて)、相手を惨めな気持にさせます。
ふくカエル
じゃあ、どうすればいいのかな?
哀れむのやめる
まずは、「思いやり」と称して、相手を哀れんだり、同情したりするのをやめます。
良い影響を与える思いやりだけにする
次に、良い影響を与える「思いやり」だけに徹します。
それには、相手の自尊心を守る
それには、相手の自尊心を守ることに徹します。
相手の人格やプライドを尊重することです。
相手が
- 自分自身のことを好きでいられるように
- 自己嫌悪に陥らないように
などに気をつけてみます。
押しつけがましいのなら、そっと離れる
相手の気持ちが沈んでいるときは、誤解されることも多々あります。
そんなときは、そっと離れるのも「思いやり」です。
押しつけがましいと相手が心苦しいようなら、速攻に離れてみます。
どんなに、自分に傷つける意図がなくても、
相手が敏感に反応して、傷つける場合もあるからです。
- 気持ちに精神的余裕がないとき
- 追い込まれているとき
- 自分しか見えないとき
は、特にそうです。
ふくカエル
ふくネコ
こういう場合は、ただ離れて見守るようにするのが一番です。
自分の「思いやり」が相手への「凶器」になる前に、とっとと退散しときましょう。
そうすると、どうなるのかな?
思いやりの仮面を被った悪魔がいることに気づける
「思いやり」には、残酷な側面があることに気づけます。
「思いやり」の仮面をつけて、弱い者をつるし上げにする悪魔です。
そんな「悪魔」にならないように注意することができます。
まとめてみたkerokero
- 「思いやり」は、悪い側面と良い側面があります。
- 同情とよばれている哀れみは、その人の人生そのものに悪影響を与えてしまうものです。
世の中には「思いやり」と称して、
どんどん相手を哀れむことで、惨めな気持ちにさせる「悪趣味な野郎」がいます。
すごく親切な顔をして、陰で虐げることで心地よさを感じている「ふてい野郎」です。
こちらとしては、今に充実して、必死に頑張っている最中なのに、
自分の勝手な判断で「不幸な境遇だ!」と決めつけて、同情してくるのです。
そんな人が目の前に現れたら、
あほんだら!
と心の中で叫んで逃げましょう。
逃げるが勝ちです。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。