正真正銘の愛とは?
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第5章 人とのかかわりあいついて」
「No.137 ありのままを求める」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
ありのままを求める
むしろ、相手にありのままでいて欲しいと祈ること、
これこそ正真正銘の愛なのである。
アラン先生「幸福論」より引用
愛?
人とのかかわりあいの中で、一番興味が湧くのが「愛」です。
でもこれがです。
非常に抽象的なもので、考えれば考えるほど正解が見えてきません。
なあ、「愛」ってなになん?
いろいろな人に「愛とは、なんぞや?」と尋ねても、
それぞれ違った答えが返ってくるので混乱するのです。
愛を語りだすと、
みんな「評論家」になるねんよ。
めっさ語り出すねん。
ふくカエル
カエル風アラン先生の言葉
こんなときに、アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
愛ってのは、
人とのかかわりあいの中で
一番期待できるもんやねん。
たしかに、
愛を構築するのは
めっさ、むずかしいねん。
そやけどな
正真正銘の愛はあるねんで。
確かにあるねん。
正真正銘の愛とは、これ!
これだよ!
正真正銘の愛とは、真実の愛とはですね・・・、これになります!
相手に、ありのままでいて欲しいと祈ること
です。
相手に「あるがままの、偽りのない姿」でずっといて欲しいと求めることです。
受け入れるだけじゃない!
ここでは、相手のありのままの存在をただ受け入れるだけではないのです。
受け入れた上で、ありのままの存在でいて欲しいと求めることです。
ふくカエル
なぜ、受け入れるだけでなく「求める」のかな?
難易度が違うからです。
受け入れると求めるとでは、難易度が違うからです。
受け入れることは、大したことない!
実は、受け入れることは、求めることに比べたら大したことないのです。
人をありのままに受け入れることは、日常的に普通にあって、別に大騒ぎするほどでもないからです。
ふくカエル
たとえば、日々の暮らしの中で、
- 嫌な先生
- 嫌な同級生
- 嫌な上司
- 嫌な同僚
- 嫌な隣人
といった、自分との相性が悪い人に遭遇することは普通にあります。
ふくネコ
どんなに腹の底では、
うぬっ~~。
こやつら、大嫌いじゃあ~!
と叫んでいたとしても、
誰もが、
しゃ~ない!
これは試練やねん!
と、自分の気持ちと切り離すことで半ばあきらめて、受け入れています。
ふくカエル
ふくネコ
求めることは、難しい!
でもです。
求めることは、受け入れいる以上に難しいのです。
人に、ありのままでいて欲しいと求めることは、滅多になく、非常に珍しいからです。
ふくカエル
なぜ、むずかしいのかな?
どうしても、思い通りにしたくなるから
なぜなら、人は、
どうしても、相手を自分の思い通りにしたくなる性分が出てくるからです。
ふくカエル
ふくネコ
愛が必要だから
なので、そうした性分を抑えた上で、ありのままでいて欲しいと思うだけでなく、
さらに、ありのままでいて欲しいと願い、求めたくなるには、「大きな愛」が必要になるのです。
ふくカエル
たとえば、
めっさ、だらしなくても、
鼻、ほじっても、
こうした相手の欠点、弱点など気にくわないところを全部ひっくるめた上で、
でも、ええねんよ。
そのままでいて欲しいねん!そのままでいてくれたら
それだけで、あたしは幸せなの!
といった心境になれるのです。
ふくカエル
ふくネコ
これこそ、正真正銘の愛です。
じゃあ、正真正銘の愛を手に入れるにはどうすればいいのかな?
3つのステップを踏む
このように、正真正銘の愛を手に入れるのは、非常にむずかしいです。
ふくカエル
なので、正真正銘の愛を手に入れるためには、
- まず、理解する
- 次に、想像する
- そして、気づく
というステップを踏むのがお勧めです。はい。
1.まず、突然の別れを理解する
まずです。突然の別れを理解します。
ここでいう突然の別れとは「死別」のことです。
もしかしたら、
自分が、今日突然死ぬかもしれない
ひょっとしたら、
相手が、今日突然死ぬかもしれない
ということを理解します。
たしかに、人はいずれは死ぬのですが、「死」そのものは全く予測不可能であることを肝に銘じます。
ふくネコ
ふくカエル
2.次に、想像してみる
次に、「死別する」ことをリアルに想像してみます。
たとえば、
自分や、相手が「明日死ぬかもしれない」状況に立たされたときを想像してみます。
そのときに、自分がどう感じるかをリアルに考えるのです。
相手の死を理解できないです。
たぶん、泣き叫ぶことになります。
あまりもの衝撃で、気絶するかもしれません。
自分がどんなに大切に思っていたのかを思い知らされます。
苦しくて、息が出来なくなります。
寂しくて、気が狂いそうになります。
あれもこれもしたかった後悔に苛まれます。
優しくなれなかった自分を責めます。
もっと素直になればよかったと後悔します。
もっと大切にしておけばよかったと思います。
つらく当たったり、ないがしろにした自分を責めます。
突然の別れほど、心をえぐるものはないです。すると、ちょっとだけでも正真正銘の愛とは何かが見えてきます。
ふくカエル
3.そして、有難さ(ありがたさ)に気づく
そして、相手が現に存在していることの有難さ(ありがたさ)に気づきます。
いろいろと想像していくと、相手がそばにいてくれることが、どれほど価値あるものかに気づきます。
ふくネコ
すると、胸にこみあげてくるほど、相手の存在をありがたく感じられます。
ふくカエル
日々の暮らしの中で、
相手の存在の有難さを意識している人って、
あまりいないのです。
まあ~ね、
みんな意識してへんよ。意識できている人は
素晴らしいねん。
そうすると、どうなるのかな?
突然の別れをいつも意識できる
まず、突然にくるかもしれない別れをいつも意識することができます。
とても奇跡的なことに気づく
次に、相手の存在が、とても貴重で奇跡的なものであることに気づきます。
相手の存在が愛おしくなる
すると、相手の存在が愛おしいものになります。
そばにおってくれて、
ほんまにありがとう!
と感謝できます。
ふくカエル
小さなことにこだわらなくなる
また、小さなことにこだわらないようにします。
たとえば、
- 相手の欠点や弱点
- 自分の意に沿わない相手の態度
- 思い通りにならないこと
- ちょっとした意見の食い違い
などを神経質に気にしたり、厳しく指摘して、いがみ合うようなことがなくなります。
ふくネコ
たとえ、ケンカしていても、
こんなケンカできる相手が
いなくなったら困るなあ。
と思えるので、ケンカも過度にエスカレートしなくなります。
自分勝手な愛し方をしなくなる
さらに、自分勝手な愛し方をしなくなります。
- 自分の思い通りにする
- 自分の気持ちを第一にする
- 相手の希望を優先しない
- 相手の気持ちを考えない
といった、相手の気持ちを尊重せず、自己中心的な感情を押し付けることがなくなります。
ふくカエル
代わりに、相手にできるだけ長く一緒に、この世に存在して欲しいと切に思えるようになります。
まとめてみたkerokero
- 正真正銘の愛とは、相手にありのままでいて欲しいと求めることです。
- 正真正銘の愛を手にいれるためには、突然の別れを理解すること、リアルに想像してみること、相手の存在の有難さに気づくことです。
- 相手の存在が奇跡的なものであることに気づくと、小さなこだわりがなくなり、存在してくれることのみを祈るようになります。自分勝手な愛し方をしなくなります。
相手が突然いなくなったら、本当はかなり困るのに、そのことを意識しないで暮らしている人が多いです。
いつまでも相手がいると思うと、ささいなことが気になったり、気にくわないことがあると、相手をなじったりします。
ふくカエル
でもです。
空気のような存在の人が、突然いなくなったときのことをリアルに想像してみると、そんなたわいもない感情は吹っ飛んでいきます。
いなくなったら、どんなに自分が苦悩するのかをしっかり分かっていると、
相手がいるだけで満足できて、いつまでもいて欲しいと真剣に祈るようになります。
で、
そのままでおってな!
約束やで
と相手に言えるようになるねん。
ふくネコ
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。