【不安や感情】身体の役割を知ると、身体に対する考えが変わるよ
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
自分の身体に無頓着な人!
世の中を見渡すと、自分の身体に無頓着な人がずい分と多いです。
なかには「酷使してなんぼや!」という人もいます。
そやけどです。
そやけどです。
そやけど
なんですが…
実は、身体は日々涙ぐましい役割を果たしているのです。
今日は皆さんの身体に代わって、身体のすごさについて語りたいと思います。
そやから、心して聞いてね!
涙ぐましい身体の役割とはこれだよ!
これです!
身体の役割を知る
生きている肉体は、人がいろいろ考えることによって苦しむこともあれば、動くことによって癒えることもある。(中略)
この勇ましい駆け引きの象徴が、人間の肉体が果たしている役割である。
アラン「幸福論」より引用
日々大きな犠牲を払っている
のです。
具体的には、どんな犠牲を払っているのかな?
いろいろ考える度に、ダメージを受ける
まず、人がいろいろと考える度に、身体は大きなダメージを受けます。
ふくカエル
ふくネコ
たしかに、中には素晴らしい考えに至ることもあります。
でもです。
それまでに「もがきながら考える作業」が生身の肉体に与えるダメージは相当な量になるのです。
だんだん身体が
ボロボロになるねん。
ほんまに大きな負担やねん。
たとえば、新しい発見です。
たいがいの場合、新しい発見に至るまでには、
いろいろな困難の壁を乗り越えては挫けずに研究を続けたという「長い苦しみの過程」があるのです。
想像する度に、影響を直接受ける
次に、不安や恐怖を想像する度に、身体は大きな影響を直接受けます。
直接もろに刺激を与えられるので、条件反射のように引き起こされる身体の反応を制御できなくなるのです。
その度に、ひどく疲れるねん。
「幸福論」【不安と感情】不安や恐怖で身体が動かなくなったときに、気づいて欲しいこと。
たとえば、恐怖です。
恐怖を想像するとなかなかぬぐえられず、
全身をかけめぐる慄きや震えを抑えるのには一苦労します。
その他の精神活動にエネルギーを消耗する
さらに、その他の精神的な活動をするたびに、身体は大きなエネルギーを消耗します。
たとえば、悲しみや後悔、嫉妬などから立ち直るときです。
ネガティブな感情から立ち直るために消耗するエネルギーは相当なものです。
ふくカエル
あらゆる活動にいつも酷使される
そして、その他のあらゆる活動する度に、身体はいつも酷使されます。
癒される時間よりも活動する時間のほうが圧倒的に多いです。
ふくカエル
ふくネコ
じゃあ、どうすればいいのかな?
身体の役割に関心を持つ
まずは、自分の身体が果たしている日々の役割(犠牲)について関心を持つようにします。
たとえば、
- いろいろなことを苦悩するときに受けるダメージ
- いろいろなことを想像するときに受ける影響
- その他の精神的活動で消耗するエネルギー
- 生きるためのあらゆる活動に酷使されること
などを絶えず意識するようにします。
代替物がないことを自覚する
次に、自分の身体には代替物がないことを自覚します。
ふくカエル
自分の身体が潰れてしまったら「そこで終わりである」ことをいつも意識しておきます。
自分の身体を労わる
さらに、いつ何時でも自分の身体を充分に労わるように努めます。
たとえば、自分の身体から発するサインに敏感になるようにします。
とくに次のようなサインには敏感になるのがいいです(これらのサインは身体がかなり参っていることを示すからです)。
急にポロポロ涙が出る
充分なケアをする
そして、身体が発するサインに気づいたら充分なケアをします。
- 睡眠
- 食事
- 休息
- ストレス解消
などに気をつけます。
そうすると、どうなるのかな?
身体への刺激に敏感になる
まず、身体の役割(犠牲)を理解できると、身体へのあらゆる刺激に敏感になります。
身体を粗末にしなくなる
次に、身体の役割(犠牲)に理解できると、身体を粗末にすることがなくなり、身体をいたわる意識が芽生えます。
身体の価値に気づく
魂は感情に左右されない崇高で繊細なもの、といつでも考えられているが、そうではなく、ただ無関心なだけではないだろうか。生きている肉体のほうが魂よりずっと立派である。
さらに、自分の身体の活動は、魂のそれよりも立派であることにも気づきます。身体の尊い価値に気づきます。
身体は魂よりも大事やねん。
ふくカエル
ふくネコ
魂は、宿る「生きた肉体」があってこそやと思います。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第1章 不安と感情について」
「No.015.身体の役割を知る」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 身体の役割を知ると身体に対する考えが変わります。
- 身体の役割とは日々あらゆることに大きな犠牲を払っていることです。
- たとえば、苦悩する度に大きなダメージを受けています。想像する度に直接影響を受けています。
- また、精神的な活動をする度に大きなエネルギーを消耗しています。その他のあらゆる活動する度に酷使されています。
- 身体の役割に関心を持ち、代替物がないことを自覚します。そして労わり、充分なケアをします。
- そうすると、身体の刺激に敏感になり、身体を粗末にしなくなり、身体の役割の価値の尊さに気づきます。
実は、自分の身体は毎日毎日、めちゃくちゃ頑張って戦っています。
そやから
一番ダメージを受けてるねん!
また、最後の最後まで自分の魂を献身的に支えてくれるのも自分の身体(生身の肉体)なのです。
さらに、自分の魂が叫ぶことができるのも、自分の存在を主張できるのも、生きている肉体があるからこそです。
そやから、粗末に扱うのを止めてもっと大事に扱ってほしいと思います。
自分の身体にもっと関心を持って欲しいなあと思っています。はい。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。