気に入らない人が出現したときに、すること
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第7章 幸福について」
「No.186 すべてを良いほうに見てあげる」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
すべてを良いほうに見てあげる
ほとんどどんなことにでも、ほめられるところがある。
アラン先生「幸福論」より引用
気に入らない人
人間は千差万別いろいろな人がいます。
だから、当然出てきます。
気に入らない人
これは仕方がないです。
- 相性の問題
- 年齢の問題
など、本来どうしようもない問題が複雑に絡んでくるからです。
でもです。
どうせなら、何とかしたいものです。
カエル風アラン先生の言葉
アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
そうやなあ。
生きていたら、
気に入らない人の一人や二人
必ず出てくるもんや。
避けられたら一番やけど。
避けれられへんのが人生やねん。
そんなときに、
実践して欲しいことがあるねん。
気に入らない人が出現したときにすることは、これ!
これです!
全てを良いほうに見てあげること
です。
えっつ!
こんなんできひん(訳:できない)!
そっ、そうなんですが…。
ちょっと考え方を変えると、できるようになるかもしれません。
こっそりと言っておきたいです。
世の中にはどうしても許容できない人がいます。
そもそも相性が著しく悪い人です。
個人的には、避けることができるのなら、避けたほうがいいと思っています。
ここでは、そこまで相性が悪い場合ではなく、
ちょっと工夫すれば、なんとか我慢できる人の場合についてのお話だと思って読んでくださると嬉しいです。
なぜ、全てを良いほうに見るといいのかな?
どんな人でも、良いところがあるから
どんな人でも、どんなものでも、必ず一つぐらいは「良いところ」があるからです。
ふくカエル
どんなに悪いところが突出している人でも、掘り起こしてみると「良いところ」が隠れています。
人は、気づかないから
それにです。
たいていの人は、他人の「良いところ」に気づかないからです。
その人の言動の裏側に
どんな意味があるのか?
を詮索する人は、ほとんどいません。
ふくカエル
ふくネコ
逆に、それでも詮索しようとする人は、
- 好意がある
- 別の意味で関心がある
- そもそも詮索好き(物好き)
など、特段の事情がある人です。
だから、問題ないから
だからです。
1.どんな人でも、どんなものごとでも
- 良いところ
- 悪いところ
がある
2.たいていの人は、その人の言動の真意(背後にある意味)に気づかない
のであれば、全てを良いほうに見てあげても問題ないからです。
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
すべてを良いほうに見てあげる
まず、どんな人でもすべてを良いほうに見てあげるようにします。
ふくカエル
たとえば、
臆病な人
に対しては、
あほちゃう?小心者やなあ。
と、「悪いところ」だけを見るのではなく、
すごく慎重な人なんやねぇ。
と「良いところ」として評価してあげます。
いつもあれこれ口うるさく指摘したり、「用心しろよ!」と注意すような、
心配性で用心深い人
に対しては、
あ~!ほんま、
ちょっと「うざい」わぁ!
と、「悪いところ」だけを見るのではなく、
実は、とっても
友達思いの人なんやなぁ。
と「良いところ」として評価します。
推測にすぎない場合には・・・、
また、ほとんど推測にすぎない場合には、とくにすべてを良いほうに見てあげます。
ひょっとしたら、
ほとんどが悪いところばかりかも
しれへんなあ?
と思ってでもです。
疑わしきは罰せずの精神で良いほうに見てあげるのです。
ふくネコ
たとえば・・・
たとえばです。
気に入らない人の言動に「わざとらしさ」が、どんなにチラついて、
わざとちゃうか?
悪意があるんとちゃうか?
と思っても、
それが推測にすぎないのなら、
自分と相性が
根本的に悪いからや!
と考えて、「悪いところ」を見て詮索したくなる自分をストップさせます。
相手の悪いところを考えると
際限なく悪いところが目につき、
どんどん自分の機嫌が悪くなります。
ここは、あえて目をそらせるのが賢いと思います
立派な人として描き出す
そして、相手を立派な人として描き出すようにします。
一定の礼儀をもって接するようにします。
とくに若い人
若い人たちをりっぱな人間として描きだしてあげよう。
とくにです。
自分よりも年下の人などを立派な人として描きだしてあげます。
たとえば、
- 生意気な人
- 学ばない同世代の人
- 考えが甘い人
です。
ある程度、自分に人生経験があると、何かと鼻につくことが多いです。
こいつ、分かってへんなあ。
考えが甘いんじゃ。
と舌打ちしそうになりますが、ここは大人の振舞いをします。
あえて言いたいことをぐっと飲み込んで、相手の気持ちを尊重します。
人生経験がありすぎて
臆病になってるんとちゃいますか?
僕は大丈夫です!
あはは!
と、言うような相手には、
そうなんだ。
君の考えを尊重するよ。
人生の課題をうまく克服できるように
祈っておくことにしよう。
と大人の対応をします。
どんなに気に入らなくても、相手の課題は自分の課題ではないことに気がついて、クールに切り離して考えてみるのがいいです。
失敗しても、成功しても
それは、
相手の克服すべき課題であって、
自分とは無関係やと思うと
気が楽になってくるねん。
どんなに、「こうした方がいい」と思っても、
お口にチャックです。
そもそも、相手は自分の小言を聞き入れない人なのです。
そんな相手に言えば、言うほど、手応え感がなくなくなります。
それだけじゃないです。自分の方がどんどん気分が悪くなってきます。
そんなことで自分の気分を害するくらいなら、
最初から言わないほうがましです。
代わりに純粋に「良いところ」だけをピックアップして考えます。
- 「わたしとは違う道にチャレンジするんや!」
- 「すごいなあ!勇気あるなあ!」
と良いほうに解釈します。
この方が、精神衛生上とてもいいです。
そうすると、どうなるのかな?
相手が信じるようになる
まず、相手が「自分はそうなのだ!」と信じるようになります。
人は、自分のことを良いほうに評価してくれる人がいると、
ひょっとして、
ぼくって、
まんざらでもないのかもしれへん
とてもいい人なのかもしれへん!
と自分を信じるようになるからです。
相手が、立派な人間になる
次に、相手が立派な人物になっていきます。
人は、自分に自信がつくと、ほんとうに立派な人間になっていきます。
今まで誤解されていたけど、
ほんまは立派な人間やねんで!となる。
批判は役に立たないことに気づく
以上のようなことに気づくと、逆に、
おまえは、ここが悪いんじゃい!
はよ、直さんかい!
と、「悪いところ」をがーがー指摘して、批判することが、
実は、何の役にも立たないことに気づきます。
このような指摘は、相手の自尊心を傷つけます。
そんなに悪く言わんでも
ええやんか!となる。
またさらに、反発心をも育てます。
けっつ!なんやねん。
偉そうにしやがって!
となる。
結局、相手の前向きな気持ちを潰してしまい、どんどんひねくれるようになります。
人は、自分のことを否定する人が大嫌いになるからです。
応用ができるかも?
全てを良いほうに見てあげる方法ですが、いろいろなことに応用できます。
- 頑固なお父さん
- 融通のきかないパートナー
- 迷惑な友人
- 何でも丸投げしてくる上司
- 怠惰な部下
幅広く使えます。はい。
人の「良いところ」を見て、すべてを良いほうに解釈してあげることは、人を良い方向に誘導することができます。
自分の「良いところ」に本人が気づくことで、自信と自尊心が育つからです。
これは大きな力となります。
結果的に、自分もご機嫌になる
実はです。このように気に入らない人でもすべてを良いほうに見てあげられるようになると、
ふくカエル
結果的に、自分の機嫌が良くなってくることに気づきます。
- 相手の悪いところが目に入らなくなる
- どんどん気に入らない人物が自分が良しとする人物像になっていく
からです。
ふくネコ
人を楽しませる達人になれる
そして、すべてを良いほうに見てあげるようにすると、人を楽しませる達人になれます。
- 良いほうに見られる相手側
- 良いほうに見る自分側
のどちらの立場も機嫌が良くなるからです。
まとめてみたkerokero
- 気に入らない人が出現したときにすることは、すべてを良いほうに見てあげることです。
- どんな人でも必ず「良いところ」があるからです。
- 推測にすぎない場合には、疑わしきは罰せずの精神で「良いところ」を見てあげます。
- そうすると変化が起こってきます。一つは気に入らないひとが立派な人になっていくこと。もう一つは、自分の機嫌も良くなっていることです。
- このようにすべてを良いほうに見てあげるようにすると、人を楽しませる達人になれます。
自分が気に入らないと思っているということはです。
相手も自分のことを気に入らないと思っています。
あっ、バレた?
これは、十中八九、真実です。
お互いが相手のことを「不機嫌の素」だと見なしているのです。
ふくカエル
たしかに「不機嫌な素」を「上機嫌な素」にするのは難しいです。
でも、工夫をすればなんとかなります。
「良いところ」を見つけることは、「不機嫌な素」を減らすための工夫だと思うことです。
徐々にですが「不機嫌な素」は減ってきます。
あとは、すべてを良いほうに見てあげることを続けて、「不機嫌な素」が「上機嫌な素」に変化するを待ちます。
ここは焦らず、徐々に種から芽が出て花が開くように、気長に待つことがコツです。
気に入らない人が、気にならなくなったら、大成功です。
ご機嫌な自分になってます。
それだけでなく、気に入らない人でも喜んでいるのも見ると、
人を楽しませることで、つくり出せた自分の幸せを実感できます。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。