【不安と感情】裏切られた時に、乗り切る知恵
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
裏切られたとき、軽蔑されたとき
裏切られたとき、軽蔑されたときは、本当に心が痛いです。
ほんまに後頭部をガツンと
殴られた感じやね。
激痛がするねん。
とくに自分が信頼していた人からだとなると、ぐらんぐらんします。
めまいがめっさする!
それだけじゃありません!
おっそろしいほどのドロドロした感情(衝動的な感情)が湧き上がってきます。
あいつ、ざっけんな!
呪い〇〇してやる!
メラメラする!
心が非常事態となります。
そやけどです!
メラメラと自分の感情を暴走させてしまえば、あとでしこたま後悔するハメになります。
そこで、提案したいのです!
こんなときは、
次のような知恵で乗り切るのはどうでしょうか!
こんな知恵があるねんけど
乗ってみいひん?
乗り切る知恵とはこれですねん!
これです!
自分をただの悲劇役者と考える
これこそ本物の知恵であり、邪な感情から自分を守る、真の防御手段なのである。
アラン「幸福論」より引用
自分を「三流の悲劇役者だ!」と考える!
ことです。
自分自身を下手くそな芝居しかできない三流役者だと思うのです。
なぜ、悲劇役者と考えるといいのかな?
自分を客観視できるから
なんと言っても「三流の悲劇役者」と考えることで、自分を客観視できるからです。
ふくカエル
ふくネコ
感情に支配されずにすむから
それにです。
自分を三流の悲劇役者と考えて、自分を面白おかしくとらえることで、
- 失望や失意などの絶望感
- 激怒
- 復讐
といったドロドロとした感情に支配されずにすむからです。
このときに、とくに注意すべき感情は、失望や失意などの絶望感です。
絶望感は、自分から「生きる気力」をどんどん削いでいきます。
このような感情に自分自身が支配されないようにしないとダメなのです。はい。
ふくカエル
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
動揺している自分を認める
まず、「現在の自分はひどく動揺しているだけだ!」と考えて、認めます。
裏切・軽蔑されたのだから、動揺して当然だと考えます。
ふくカエル
まともな判断ができない事を認める
次に、このようなひどく動揺している状態では、まともな判断・思考ができるわけないと考えます。
湧き上がってくる恨み言を陳腐なセリフだと思う
「あの裏切り者、友人づらして、ずっとわたしのことを軽蔑していたのだ」
そう言うかわりに、こう言うといい。「今は動揺していて、きちんと考えられなし、正しい判断もできない。わたしは自分ひとりでセリフを声に出している悲劇役者にすぎないのだ」と。
また、湧き上がってくる恨み言は、
センスのない陳腐なセリフに過ぎない!
と思うようにします。
たとえば、
- 許さん!
- 〇〇!
- 地獄に落ちろ!
- 不幸になれ!
- 呪ってやる!
といった熾烈な言葉でも、
鼻くそのように
おもろないセリフやで!
言うほうが恥ずかしいで…
もっと気の利いたセリフを
吐かれへんのかい?
と思えると、ちょっと笑けてきます。
ミスリードされない
そして、何と言ってもこのような感情的な言葉に自分自身をミスリードされないように気をつけます。
自分の感情に煽られミスリードされると、高い確率で衝動的な行動に発展します。
復讐に燃えたり
相手の不幸を願うように
なるねん。
あの、くそ野郎!
恨み〇〇してやるで…
たとえば、こんな風に回避してみる
このような生臭い衝動的な行動に発展しないように、次のように自分自身に語りかけて回避するのはどうでしょうか?
ウチってしょうもない人間やねん。
簡単に裏切るような人間を信じてしまうからな…
そやけど、今、頭がおかしくなっているのは事実や…
これは仕方がない。
そやけどな、ここで下手に騒いだらアカンで。
裏切った奴と同類になる!
復讐心に支配されて後先が見えへんようになるのは、「自分に好意を抱いている人間」を平気で裏切るような奴と同類になるねんで。
大丈夫や、自分のことや、じき正気になる。
そやから、「ちきちょう!あいつ裏切りやがって!呪い〇〇してやる!」という言葉より「はらほれはひふへほ」という言葉を吐くほうがええねん。これや!
そうすると、どうなるのかな?
邪悪な感情から自分を守れる
これこそ本物の知恵であり、邪な感情から自分を守る、真の防御手段なのである。
邪悪な感情から自分自身を守ることができます。
ここでの邪悪な感情とは
- 自分の復讐心
- 世間の劣悪な好奇心
のことです。
邪悪な感情から守るねん!これは大きな効果やと思います。
復讐心に燃えなくてすむ
まず、自分の人生を無茶苦茶にする復讐心に燃えなくてすみます。
ふくカエル
世間の好奇の目から逃れられる
次に、世間の劣悪な好奇の目から逃れることができます。
ふくネコ
三流役者の演技が下手くそすぎて、誰も興味を示さないからです。
面白がってやんやとはやし立てる者も、無責任に挑発する者もいません。
さらし者になり、さらに自分の傷を深めるような馬鹿げたことに発展せずにすみます。
精神を不安定にさせる要因を徹底的に排除できるので、ほんまにありがたい知恵です。
ふくカエル
ふくネコ
他人の不幸は、人々の邪悪な興味や好奇心を駆り立てます。
傷ついた人や苦悩している人を間近に見て哀れむことで優越感に浸ったり、我が身の無事をかえりみることで快感を得ようとする人も多いです。
まさに「他人の不幸は蜜の味」です。
人というものは、本能的に残酷な好奇心があるのです。
悪魔の証人をつくらずにすむ
もう一つあえて言うのなら、悪魔の証人をつくらずにすみます。
悪魔の証人とは、復讐心など邪悪な感情にとりつかれた自分を目撃していた人のことです。
ふくカエル
自分の弱みを握られてしまいます。
このような人達は、これから先の成功の芽をことごとく潰そうとするので、ほんまに要注意です。
そやから、頭のいい人は、このような場合には騒がずにじっとするのが得策やと心得てるのやと思います。
はやく復活できる
そして、自分を三流の悲劇役者だと考えることで、いち早く復活することができます。
邪悪な感情(自分の復讐心や世間の劣悪な好奇心)に悩むことなく、自分の心の傷をいやすことだけに専念することができるからです。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第1章 不安と感情について」
「No.033.自分をただの悲劇役者と考える」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 裏切られたとき、軽蔑されたときは、自分を三流の悲劇役者だと考えて乗り切ることです。
- 自分を下手くそな芝居しかできない三流の悲劇役者だと考えると、自分を客観視できたり、邪悪な感情に支配されずにすむからです。
- 具体的には動揺して、まともな判断ができない状態である自分を認めます。そして湧き上がってくる恨み言を陳腐なセリフにすぎないと考えることです。
- そうすると、邪悪な感情(復讐心や世間の劣悪な好奇心)の餌食にならずにすみます。
- 結果的に、一早く復活することができます。
裏切りや軽べつされたときには、誰でも心の底から恨み言が湧き上がってきます。
ふくカエル
ふくネコ
そやけどです。
一度しかない人生に「ドロドロした生臭い感情」を演じる必要はないと思います。
自分の三流の悲劇役者だととらえることで、邪な感情(自分の復讐心・世間からの劣悪な好奇心)などから守れます。
これは「本物の知恵」だと思います。
本当に賢い人は、必要なときに「アホ」にもなれる人やと思います。
たしかに、
裏切った人間は、こちらを出し抜いたことで「一番の勝者」だと思っているかもしれません。
でも「一番の勝者」は、裏切られた危機的状況から一番先に脱出できた人やと思うのです。
バッサバッサと裏切った者を今度はこちらからバッサバッサと切り捨てて、立ち直った人間が「一番の勝者」なのです。
このことに気づくまで、ウチ(訳:わたくし)はだいぶん時間を浪費してしまいました。
今思うと「ほんまのアホやったなあ」と思ってます。
「ほんまのアホ」は、アホになるのが怖いけど、
「ほんまに賢い人」は、必要なときにアホになれるねん。
これって真実やと思います。
ふくカエル
今、気づいてん。
言ってもいい?「ほんまのアホ」は、アホになるのが怖いねん。
これは、よう分かるねん。そやけどな、
「ほんまに賢い人」は、アホになれるねん。
アホからアホと思われても平気や。
だって、賢いから。
スゴイと思うたわ。🐸
— ふくカエル@猫さん好き好き (@Fuku_78) August 19, 2020
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。