悲しみから離れたいときに、すること(考えること)
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
悲しいとき
人は、生きているとです。
しばしば、生きること自体がとても辛く感じるときがあります。
とくに、えげつないほど大きな悲しみに打ちひしがれたときなどはそうです。
ふくカエル
悲しみがどんどん溢れてきて
ほんまに押しつぶされそうになるねん。
そやけどです。
こんな状況にどっぷり浸かってしまえば、自分の魂がどんどん凍てついてしまいます。
そこでです!
このような悲しみからいち早く離れたいときに、ちょこっと考えて欲しいことがあるのです!
あるねん!そやから、
知っておいてほしいねん。
離れたいときに、ぜひとも考えて欲しいこととは、これ!
これです!
悲しみの翼をもぎとる
アラン「幸福論」より引用
自分の悲しみに生えている
翼をもぎとる
ことです。
悲しみに翼やて?
一体なんやねん?
ってな感じですが…
ここで言う「翼」とは、自分の悲しみにいろいろと意味あい(たとえば美化する)をつけて「想像の翼」を広げてしまうことです。
人というものは「ついつい自分の悲しみを特別視し、翼を与えて自分の意識の大空へ飛び立たせてしまう」厄介な面があります。
ふくネコ
ふくカエル
ところで、なぜ、想像の翼をつけるとダメなのかな?
簡単に捕まえられなくなるから
まずです。
一度でも悲しみに翼をつけてしまうと、悲しみを簡単に捕まえることができなくなるからです。
悲しみは、どんどん想像の翼をどんどん広げてあちこちに飛び回り、簡単に自分でコントロールできなくなります。
たとえば、突然、悲しみに囚われて、ひどく取り乱すようになります。
ふくカエル
ふくネコ
否応なしに目に入るから
次にです。
悲しみに翼をつけてしまうと、悲しみがいやいやでも目に入ってしまうからです。
どんなに気にしないでおこうとしても、顔を見上げれば悲しみが舞い上がっているので、否応なしに目につくようになります。
ふくカエル
ふくネコ
ちなみに、空を「意識の空」として考えると、次のような感じになります。
じゃあ、翼をもぎとるには、具体的にどうすればいいのかな?
これ以上考えすぎない
悲しみから翼をもぎとるには、これ以上悲しみを考えすぎないようにします。
自分から悲しみを欲しないことが肝心です。
たとえば、特別視しない
たとえば、「自分の悲しみは他の人と違うんだ!」とやたらめったら特別視するのを止めます。
美化しない
あるいは、自分の悲しみを美化するのも止めます。
悲しみにいろいろな色をつけて脚色したり、自分を美しいヒロインに仕立て上げるのを止めます。
人は悲劇のヒロインに憧れてしまうものですが、「憧れ」と「現実」はかけ離れてます。
「夢見る見る子」のウチがほんまに思うのですが、自ら「しんどい世界」に埋没するのを避けた方が賢いです。
「しんどい世界」にどっぷり浸かってしまうと、そこから「抜け出すエネルギー」がしこたま要ります(このエネルギーを別のことに使ったほうが得やと思うねん)。
視界や意識から消す
次に、悲しみを自分の視界や意識から消すようにします。
悲しみを感じている「自分の存在」は認めつつも、意識しないようにするのです。
たとえば、
なんや「悲しんでいる自分」が
いるねんけどな、
直視すると
引きずられてヤバイことに
なりそうやから、
別のことを考えてるねん。
とか、
考えすぎると
えげつない翼が生えるぞ!
など、発想を変えてみます。
ダンゴムシにする!
そんな翼はもぎとってしまえばいい。そうすれば悲しみはもう這いつくばるしかない。
そして、翼をもぎとたら、悲しみをダンゴムシにします。
ふくカエル
ふくネコ
ダンゴムシにすれば、自分が下を向かないかぎり、悲しみは自分の視界から消えます。
ダンゴムシが超苦手な人(無数の動く足が生理的に苦手)に関しては、一切見向きもしなくなります。
このように意識して避けることができるので、永久に見なくなるに違いないです。
自分の悲しみをダンゴムシにする方法は
ほんまにこれやで! これやで!
(誰も思いつかへんかったと思う…ねんよ)もしも、あなたのお友だちが
悲しみで落ち込んでいるときがあったら、
この方法を教えてあげてね。
(感謝されると思うで…)
悲しみ忘れるには
ダンゴムシにするのが一番やで。
そうすると、どうなるのかな?
視界から消える
まず、翼をもぎとってしまえば「悲しみ」は足元に這いつくばり、自分の視界から消えていきます。
忘れることができる
悲しみが視界から消えれば徐々に悲しみを意識しなくなるので、いつの間にか悲しみを忘れることができます。
ふくカエル
ふくネコ
自分の時間を取り戻せる
次に、悲しみの束縛から解放されるので、自分の時間を取り戻すことができます。
ふくカエル
悲しみを欲しがらなくなる
また、悲しみを欲しがらなくなります。
一旦憑りつかれると非常に面倒くさい代物になる悲しみを理解できると、もう二度と憑りつかれたくないと思うからです。
絶望から逃れられる
そして、何よりも絶望から逃れることができます。
悲しみを深く考えることを止めることで、絶望への道をふさぐことができるからです。
「たかが悲しみ、されど悲しみ」です。幾多の小さな悲しみが結集して攻撃を受けた結果が絶望なります。
なので、このような絶望に「攻撃の機会」を与えないようにすることが大切なのです。はい。
何と言っても、
絶望に対しては油断大敵やねん。
小さな悲しみをバカにしてたら、
絶望に泣くことになるよ。
そやから、
小さな悲しみを摘んでおくことは
大事な知恵やねん
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第1章 不安と感情について」
「No.35 悲しみの翼をもぎとる」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 悲しみに翼をつけて、空に羽ばたかせて美化しないことです。
- 悲しみの翼はもぎ取るに限ります。
- いろいろな苦手な虫にして地上を這いつくばるようにしたほうがいいです。
- そうすると、悲しみは視界から消え忘れることができます。
- 結果的に絶望を回避するいことができます。
今回は「悲しみの翼」としてお知らせしましたが、
人は、自分の「悲しみ」にいろいろな装飾をつけて、美化しちゃうことがあります。
ふくカエル
ふくネコ
今、自分が悲しみに酔ってるな!
あたし、可哀そうなの!
と気づいたら、速攻に次のように思うのが賢いです。
今、えげつない翼が
生えてきてる!
あかんで、あかん。そないなえげつない翼はとっとともぎとって、悲しみは全部ダンゴムシにしちゃいましょう!
悲しみに囚われて引きずられないようにする最初の行動として大事です。
ほんまにバカにせず、ダンゴムシにするのがええで。
最初の対処が今後の自分を決めるねん。大事やと思うねん。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。