【自分自身】本物の愛を手に入れたいときに、すること。
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
「本物の愛」とは、一目惚れ、直感、運命なのかい?
よく、
一目惚れなの~!
と、だれかれともなく伝えてくる人がいます。
このような発言を聞くたびに、ウチ(訳:わたくし)は…
はっ?
さよか、ようございましたな。
と冷ややかに対応してしまいます。
ふくカエル
ふくネコ
なぜなら、次のように思ってしまうからです。
けっ、
そもそも、一目惚れってやつは
「本物の愛」なのですか?けっ、、
そんなもん…ちゃうやろ?
さらにです!人生の大先輩の中にも、
愛は直感よ!
運命よ!
あなたも頑張りなさ~い!
と叱咤激励してくださる方もおられます…
そやけどです。どうしても、ウチは、次のように考えてしまうのです。
そもそも、直感ってやつは
「本物の愛」なのですか?ぅんなぁ~わけないやろう?
第一な、
「一目惚れ」だの「直感」だのが、
そのまま、なんもせんと
「本物の愛」
なるわけねーやろ?
ふくカエル
ふくネコ
だってな、途中で事件が起きたら
どうするん?
だって、ですよ?
このように「本物の愛」を、さも、
「棚からぼた餅」
かのように理解してしまうとですよ…
途中で「事件」がぼっ発したら
どうするんだ?
とも思うのです。
ふくカエル
ふくネコ
Onorera,
それもやな、全部
「ぼた餅」にするんかーい?
と思うわけです(そうとちゃう?)。
そやからです!
ウチは、ウチは…
めっさ気になるわけですねん!
ほんまに、
「本物の愛」てなやつを
手に入れる「方法」があるんか、
どうか!
皆さんも、
そうと、ちゃいますか?
そこで、考えました。
「方法」とは なんぞや?
そこで、ウチは「方法」とやらを考えました。
ほんで、アラン先生の本から、ある「方法」を見つけたのです。
それが、これです!
本物の感情は自らつくりだす
このことを愛にもあてはめたらどうだろう。愛は自然なのものはないし、欲望だって長続きしない。そうでなく、本物の感情は自らつくりだすものなのだ。
アラン「幸福論」より引用
「自分の手でつくり出す!」です。
「本物の愛」を手に入れる「方法」とは、「一目惚れ」や「直感」に頼るのではなく、「自分の手でつくり出す」ことやと思うんです。はい。
でも、なぜ「自分で…」なのかな?
でも、どうして?
でも、どうして、「本物の愛」は「自分の手」でつくり出さなくちゃならないのでしょうか?
なにやら聞くところによりますと、
「本物の愛」には、次のような性質(特徴)があるからなんだそうす。はい。
1.自然にあるものじゃないから
まず、「本物の愛」というものは、自然にあるものでは、そもそもないからだそうです。
「本物の愛」は、そのまんま…
- 自然に生えている…ものでも
- 自然に転がっている…ものでも
ありゃーせんのです!
「本物の愛」は、「雑草」や「おイモ」のように自然に生えてません。
掘ったらな、
「本物の愛」が
ゴロゴロと出てきた!
超ラッキー!
てな、もんとちがうのです。
また、「石ころ」みたいに転がっているものでもありません。
つまづいたらな、
「本物の愛」が3個も落ちとった!
超ラッキー!
てな、もんとも、ちゃうのです。
「本物の愛」というものは、「簡単に手に入るもの」でも、「天から与えられるもの」でもないのです。
【せやからね。】
今、巷で流行っている「マッチングアプリ」の中に落ちているわけでもなーいんです。はい。
そんな都合のええもんあるかいな
ふくカエル
ふくネコ
2.必ず飽きがくるから
それにです。
ふくカエル
「本物の愛」の前段階の「普通の愛」には
えぐーいトラップ(罠)が仕込まれているからです。
どんなのかと言いますと、
「必ず飽きがくる」という
トラップ(罠)でございます。
これを、分かりやすくするために「大好きなお菓子」で例えてみます。
ふくカエル
どんなにチョコレートが大好物だからと言ってもですよ。
チョコを朝から晩まで、毎日毎日ずっと食べていたら、そのうちだんだんと気持ち悪くなって嫌気がさしてくるもんです。
おえっ、あきた。
ふくネコ
まあ、ここまで酷くなくとも、この「飽きた感じ」に似ています。
シクシク、シクシク
これは、涙 なくして語れない…
どんなに
「情熱的な愛」から始まった…
としてもです。
人間ってやつは、月日が経てば、どんどん「慣れや飽き」がでてきて、「情熱さ」を失っていくんです。はい。
ふくカエル
狂おしいぐらい会いたいと思っていた「ピュアな感情」は、どこ行ってん?
ぁはは~。あはは。あほくさ…
切ないくらい、相手を愛おしく思っていた「神々しい感情」は、どこ行ってん?
「この人のためなら何でもしてあげたい、守ってあげたい!」と思っていた、「尊い感情」はどこ行ってん?
ぎゅっ。ぎゅっ。暑いねん…
松明(たいまつ)のごとく、ゴぉーウ、ゴぉーウと燃え盛っていた、いや、燃えたぎっていた「あっつい感情」は、どこ行ってん?
ぎゅー! うっ、頭皮がくせー
そのうちな、
「けっ、そんなもん、知らんがな…」って
「へっ、そんなことも、あったよな…」って
「鼻くそをほじる」ようになるんやで
ふくカエル
ホンマに「最初の『あの感情』は、なんやったの?」って思うぐらい、ひゃーと冷めている瞬間がやって来ます。
ふくカエル
ふくネコ
ほんで、ウチは次のようなことも、、、知っているんです。
世の中には、この「倦怠期」とやらに、もがき苦しんでいる人達がぎょうさんいらっしゃることを!
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
以上のように、
①「本物の愛」には厄介な性質があるから
②「本物の愛」は、自分でつくり出さなければならない
というわけなんですが…
このことを理解して…
ほうなんか!ほしたら、
よっしゃー
「自分の手」でつくり出して
やるのじゃーー!
と息巻いてもですよ…。
一体、どのようにつくり出せばいいのでしょうか?
その「具体的な方法」が
分っかりませーん。
う~ん。
どないしたらええねん!
で、アラン先生の本を読みながら
ウチは考えたんです…。
・
・
・
・
・
ほしたらです。
ひらめいたんですわー!
こんなのは、どうでしょう?
ひらめいた「具体的な方法」とはこれですねん。
これです!
① 感じとる
② 肝に銘じる
③ 今この瞬間から即実践する
というものです。
今現在のところ、ウチは
「これが正解とちゃうか!」
と思っとります。はい。
つまりです!
ふむ。ふむ。
こないすると、ええんやね。
ウチ、頑張りまっさー。
なにがなんでも、やりまっさー。
一に頑張る、二に頑張る、三に頑張るやで。
てなものです。
これでっせ!
どうでしゃろか!
ここでいう「何をなすべきか」とは、具体的に何なの?
以上の通り「具体的な方法」が分かりました。
では、
ここで言う「本物の愛」をつくり出すために必要になる
自分で感じとるべき
「何をなすべきか」
とは、具体的には何なのでしょうか?
3つの「何をなすべきか」
ここでは、3つの「何をなすべきか」をご紹介したいと思います。
この3つはですね。
恥ずかしながら、このウチがこれまで体験してきた中で「これとちゃうか!」と感じたものでございます。
数少ない「恋愛体験」の中でやから…
「説得力」がないかも、知れへんけどな…
- ていねいさ
- 控えめさ
- 正しさ
となります。
1.ていねいさ
まず、「ていねいさ」です。
つまり、「ていねいであろう」と心がけることです。
別の言葉で言えば、「礼儀正しくあろう」と心がけることになります。
たとえば、
- きちんと「挨拶」をする
- 「ありがとう」をちゃんと言う
- 自分の使う「言葉」を大切にする
とかです。
【1.挨拶】
とくに、「挨拶」は重要だ!と最近 気がつきました。
というのは、「挨拶」は、
- とても「簡単な言葉」で、
- 相手に「自分のていねいさ」が「直接的に伝わる」言動(ふるまい)
だからです。
ちなみに、なぜ、「とても簡単な言葉なのか」と言いますと…
「挨拶」の多くは、
- 「おはよう」
- 「こんにちは」
- 「こんばんは」
- 「お疲れ様です」
というような決まり文句だからです。
ふくカエル
ふくネコ
「カタチ」がちゃんと定まっていれば、
「カタチ」に思いをのせるだけで、おのずと「心」がこもります。
また、なぜ、「直接的に伝わる」かと言いますと…
「挨拶」というものは、礼儀作法として当たり前にするものだからです。
当たり前にするものだから、相手も当たり前のように素直に受け入れてくれるからです。
ふくカエル
ふくネコ
そう考えたら、
めっさ「よきもの」やねん
【2.ありがとう】
また、「ありがとう」という言葉も、重要だと考えています。
なぜなら、「ありがとう」という言葉は「感謝の気持ち」を伝えるだけでなく、相手の気持ちをほぐす効果もあるからです。
(たしかに、改まって、言葉で伝えようとすると、なかなか恥ずかしく勇気が入りますけど…)
「ありがとう」という言葉を何度も伝えることができれば、
相手の心から「抵抗感」「敵対心」を徐々にそぎ落とすことができます。
それだけでなく、うまくいけば、「信頼感の種」を植えつけることもできるのです。
本当に「ありがとう」だけに「ありがたーい言葉」なのです。
もちろん、心がこもっていない「ありがとう」は、
相手に「不快感」を与えて、かえって「嫌悪感」を植えつけてしまいます。
ふくカエル
うわー。何その言い方!
全然、心がこもってないやん。
もう、こいつ、ないわーー
ってなるよね。
人は、一度たりとも 「嫌悪感」を持ってしまうと、なかなか「嫌悪感」を失くすことができません。
ましてや、そこから「好意を持てもらおう」なんてのは、至難の技です。
ふくカエル
逆に、めっさ心がこもっている「ありがとう」は、
相手に「好印象」を与え、「好感」を持ってもらえること多しです。
そんなに感謝されると、
マヂで感動してまうやーん
って思ってくれるかもしれへやん。
ふくネコ
【言葉】
そして、あなどれないのが「言葉」です。
ここで言う「言葉」とは、自分が毎日使っている「言葉」になります。
「言葉」を大切にすることは、本当に大事です。
なぜなら、「言葉」を大切にすることが、そのまま自然と「人」を大切にすることになるからです。
【たとえば、】
「優しい言葉」を優しい口調で言えば、「人」に優しく接することができます。
そして、「優しい言葉」を優しい口調で投げかけられた「人」は、優しい気持ちになれるんです。
このように、「言葉を大切にする」ことはダイレクトに「人を大切にする」ことにつながるんです。
(これは、ウチの「ごくごく最近の体験」踏まえた実感です。はい。)
【分かったこと…】
言葉を大切にする人は、「人」を大切にするねん
言葉を大切にせん人、思いやりのない言葉を使う人は、「自分のこと」しか考えてない人やねん
うちな リライトしとって気づいてん
というわけで、おはようございます。
被災されてる方々 皆さんの今日もいい日になりますように pic.twitter.com/KckKcooosw
— ふくカエル@猫さん好き好き (@fukukero78) January 19, 2024
2.控えめさ
次に、「控えめさ」です。
つまり、「いつでも、控えめでいよう」と心がけることです。
たとえば、自分の感情(イライラ、不機嫌)をぶつけたり、自分の考えを相手に押しつけるなど、傲慢なふるまいをしないことです。
そして、ここでは、
そのような言動に、プラス
「相手の存在を尊重しよう」といつも心がけるということもお伝えしときたいと思います。
「相手の存在を尊重しよう」と心がけることだと言うと、少々むずかしく聞こえますが、
要は「相手の話を、最後までよく聞くことだ」と考えています。
ふくカエル
ふくネコ
「相手の話」をよく聞くことが、「相手の考え」を理解する(尊重する)ことになり、ひいては「相手の存在を尊重する」ことにつながると思うんです。
常日頃から、このスタンスを心がけるだけで、
たとえ、自分の意見と相手の意見が相対するものであったとしても、イライラしたり、頭ごなしに全否定するようなことは避けることができます。
ふくカエル
ふくネコ
【たしかにです…】
好きな人の前だと、「自分の話」をしたくなるのが「人の性」です。
(よーーーくわかります)
ウチってこういう人間やねん。
もっと好きになってほしいから
どんどん話すわ
ペラペラ、ペラペラ
「自己主張ペラペラペラオ」
になるわな。
ですが…。
ここはぐっと堪えて「相手の話」を最後までよーく聞くのが、肝心なんだ思います。
(ごくごく最近、これに気がつきました)
【それにです…】
黙って聞くことで、相手の一部始終を静観することができるんです。
相手が話す「事がら」から、相手が「どのような人物」かを、冷静に見極めることもできます。
(これも最近 気がつきました)
自分との「本物の愛」をつくりだせる「真実のパートナー」なのかどうかを、見極められるメリットがあります。
話を聞いとったら、
ただの「ええカッコしい野郎」やった
てな、こともあったでぇ
ペラペラようしゃべるなーって思てたら、
中身もペラペラやった。
てな、やつや(笑)
【さらに、もっと言うと…】
たとえ「本当の愛」を共につくり出せそうな人に出会ったとしても、
このような「控えめにいようと心がける」「聞き上手に徹する」は継続した方がいいと思うんです。
その人の本質をすべて分かり切っているわけではないからです。
表面上では、ざっくばらんであったとしても、
常日頃から、真面目なところでは、この「控えめな態度」を崩さないように心がけておくと、
いざという事態になったときに、お互いを信じあえる関係を維持できると思います。はい。
3.正しさ
そして、「正しさ」です。
つまり、「いつも、正しくあろう」と心がけることです。
別の言葉で言えば、「誠実さ」を身につけることだと考えています。
また、「誠実さ」を身につけることこそが、「普通の愛」を「本物の愛」にバーションアップさせるポイントだとも考えています。
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ここで言う、「誠実さ」とは、
「パートナー」に求めるものではないのです。
「自分自身」に求めるものです!
また、何でもかんでも「自分の気持ちに正直になる」という意味あいでもないんです。
- 自分の「ズル」や「ごまかし」を修正しようとする
- 誰が見ていなくても、正しくあろうとする
という意味としてとらえています。
たとえばです。
一時的な衝動(欲望)に惑わされた場合に
その衝動(欲望)に打ち勝って、「正しいところに戻ろう」とする意志(勇気)を持つことです。
実は、ただ今、ウチはですね。
この「誠実さ」を身につけようとして、次のようなことを実践中です。
・
・
・
・
一時的な衝動(欲望)に遭遇した場合…
たとえば、ちゃんと「好きな人」がおるのに、何かの拍子に「別の人」にドキドキした場合です。
まずは、突然の衝撃に「動揺している自分」を認めています。
ここは、あっさりと降参して、認めます。
ウチ、めっさ動揺してるやんか。
ドキドキしてるやんかー。
あほちゃう?あほちゃう?
あほちゃうー?
と認めます。
次に、なぜ動揺したのか…「直接の原因」を探ります。
たとえば、
- 寝不足・体調不良
- 不安感が激増している
- 不平不満が充満している
とかです。
とにかく、とにかく、自分の「健康状態」や「精神状態」を分析しまっくって、原因を探りまくります。
ふくカエル
ふくネコ
また、リアルに想像しています。
何を、リアルに想像しているのかと言うと…
今この衝動、欲望に負けてしまえば、「自分は一体、何を失うのか」ということを…です。
常日頃から、「失うものが、どれほど大きいのか」をリアルに想像しておくと、もっと効果的やと思います(速攻でブレーキがかかります)。はい。
ふくカエル
リアルに想像できたら、勇気を出して「自分が正しいと思うところ」へ戻ります。
あかん。あかん。あかんぞ。
とりあえず、好きな人がおるねんから、
操を立てな、あかんのやぞ!
【勇気を振り絞るコツ】
ちなみに、ウチは次のようなことを考えて、勇気を振り絞っています。
- 自分の不誠実は、いずれ必ず露見するぞ
- 誰も見てなくても、お天道様が見てるぞ
- 不埒なことを考えていたら、いずれ必ずバチ当たるぞ
です。はい。
ふくカエル
ふくネコ
あとは、どんなに誘惑されても、何度も何度も「正しくあろう」とする努力をします。
もちろん、ウチも人間ですから「気弱になる」ときもあります。
(大失敗したときとか…病気したときとか…です)
「気弱になる」と、どうしても「自分が正しいと思うところ」に戻るのが、正直なところむずかしくなります。はい。
ついつい、近場の「楽な方へ、楽な方へ」となびいてしまいそうにも、なるのです。
また、ここぞと言わんばかりに「弱み」につけこんでくる輩もいて、ほんまに大変です。
だから、常日頃から「正しいと思うところへ戻る」ことからブレない努力って、大切やと思います。
ふくカエル
ふくネコ
さらに、どんなときも「正しく愛そう!」「正しくあろう」ということを忘れないようにしています。
「愛」に対しては、
意識を高くしときたい、ウチやで
そして、このような姿勢が「ゆくゆくは『本物の愛』をつくり出すことにつながるのだ!」と強く信じています。はい。
とにかく信じたいのです。
なんせ、ウチの夢は、
この世から去る時に
「好きな人に手を握ってもらう」
ことだからなんです。はい。
で、実践したら、見えてきたもの
最後に、
以上の「方法」を実践してきた「ウチの感想」をお伝えしたいと思います。
なんとです。実践してみたら、「意外なもの」が見えてきたんです。
それは、次のような「7つの壁」です。
乗り越えなければならない「7つの壁」が出てきました(現実はむずかしいー)。
1.生理的欲求の壁
まずは、生理欲求の壁が出てきました。
どんな「愛(恋愛)」でも、きっかけなり、はじまりは「生理的欲求(顔・スタイル・スキンシップ)からや」と言うことです。
どんなに
「いっや、ウチは、中身重視やで!」
「プラトニックから、お願いします!」
と言うたかて…やで
人は、なんやかんやと言っても「自分の好み(タイプ)」というものがあるんです。
ほんで、なんやかんやと言っても「スキンシップに安堵感を覚える」もんなんです。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
【逆に…】
どんなに努力しても、相手が「生理的にムリ」と言ってきたら、そらもう、あきらめるしかありません。
2.安全の欲求の壁
次に、「安全の欲求の壁」が出てきます。
お互いに、目の前の人物が「居心地がいいぞー!」と認識すると…
どうしても「一緒にいたい」「二人が安心できる場所を持ちたい」「二人が帰る同じ場所を作りたい」という「安全の欲求」が芽生えてくるんです。
「安全の欲求の壁」がどーん!ですがな
ふくカエル
ふくネコ
ほんで、さらに大きなPowerを注ぎ込んで、「結婚式」「婚姻届」などの「一大イベントの壁」を乗り越えるのやと思います。
パチパチやで
この壁は、おおむね二人が興奮状態であるので、難なく乗り越えらえるのやと思います。
でも、問題は、その後なんです。
3.心に魔が差す…恐怖の壁
二人の共同生活が数年経ち、ある程度 落ち着いた頃に、いろいろな「支障」が出てきたり、ちょっとした「すれ違い」が生まれてきます。
ふくカエル
このような時期に目の前に立ちはだかるのが、「心に魔が差す…恐怖の壁」です。
「すれ違い」が多くなると、精神的に疲れてくるので、どんどんパートナーへの不平不満が募り、「心に魔が差すリスク」が高まるのやと思います。
この時に、後先考えない人達が走るのが、「浮気・不倫」なんやと思います。
4.心のケアの壁
「恐怖の壁」が立ちはだかるのと同時に、で―――ンと目の前に立ちはだかるのが…
「心のケアの壁」です。
これは、互いの「心をケアする時間」を最優先につくる努力をしなあかんということです。
- すれ違いから生じる不平不満
- パートナーへのネガティブな気持ち
- パートナーに対するネガティブな評価
などは、一刻も早くも撲滅しなければなりません。
さもなければ、すれ違いが多く、不平不満が募り、ギクシャクしている状態がどんどん悪化していきます。
だから、一刻の猶予もないのです。
「取り返しのつかない状態」になる前に阻止する必要があります。
なにがなんでも、早急に爆破したい壁です。はい。
「心のケア」は、とにかくタイミングが大事だし、同時にとても大きなPowerも必要です。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
心のケアは、ホンマに大事や
相手の不安を失くす努力、
ホンマ大事や
自分の怒りをコントロールすること
ホンマ大事やそうなんじゃーー。
ここで、何をとち狂うのかが…分からなんのですが、
「心のケア」と称して、「不倫や浮気」に走ってしまう人が現実におるんです。
「寂しかったから」だの…、
「ついつい、誘惑されたから」だの…、
「あいつに仕返しをしたかった」だの…、
何だのかんだの言ってです。
互いに、不倫や浮気に走ったらですよ(以後どのようなカタチをとるにせよ)
「二人の関係性は、そく終わりや(「しこり」が一生残る)」と自覚するのがええと思います(これは伝聞)。
5.決断と覚悟する壁
以上お話した「壁」とは別格に、立ちはだかる「壁」もあります。
それは、「決断と覚悟する壁」です。
これは、自分の目の前にいるパートナーは、
- 自分の「人生の最期」までずっと一緒にいる人物なのだ
- 何があってもそばにいる、一緒だ
- パートナーを永遠に大切する
という決断と覚悟することです。
ふくカエル
ふくネコ
6.協力を求める壁
そして、さらにさらに出てきたのが「パートナーからの協力を求める壁」です。
攻略するのが、最も難しい壁です。
「平穏で幸せな関係」を一生維持するためには、できるだけ相互理解に努めなければなりません。
そこで最も必要となるのが、「パートナーからの協力」なんです。
「楽しみ、喜び」を共有するだけでなく「悲しみ、苦しみ、つらい代償」を共有するためには、互いに協力しあうことがとても必要になってきます。
この「協力」なんですが…
ラブラブな時期であれば、簡単に得られますが、
ある程度年季が立つた時期になると、ものすごく難しくなったりするんです。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエル
初心に戻って、パートナーからの理解と協力を求めるのは至難の業でございます(以上、伝聞)。
ここで「協力」を懇願しても、しかと(無視)されたり…、バカにされたり…などしたら…
「破局」が待っているんだなぁと覚悟したほうがいいそうです(以上、伝聞)。
7.ゆるす壁
そして、最後にお伝えしたいのが…
「ゆるす壁」です。
これも、攻略するのが難しい壁です。
パートナーの「価値観」や「意見」などをゆるす(理解して受け入れる)ことです。
ゆるすことが出来たら、その時点から、
初めて「愛し合う存在」から「ゆるし合う存在」に、二人の関係性が「ハイレベルなもの」に変わるそうです。
ふくカエル
いくらパートナーの「考えや意見」「思想」「価値観」だからとて、
「受け入れがたいもの」を理解して受け入れる(ゆるす)ことは本当に難しいです。
ほんまに相当な覚悟と勇気(Power)が必要になります。
自分とは「全く別の人間である」ことからスタートしないと、本当に難しいです。
自分が「全て良し」と思っていたことを「真っ向から悪し」と言い切るのですから、たまったもんじゃないです。
自分が「長年、よかれ、すべし」と思っていたことを「頭、おかしんじゃないの?」とのたまうですから、耐えられません。
魂ぬけるぞ
そして、考えた結果、見えてきたもの
以上のような壁がどんどん見えてきて、思ったことなんですが…
たしかに、最初は、「自分の愛情は、自分でつくりださないと意味がないからな…」と簡単に考えていたんです。
でもです。つらつら考えてみたら、ちょっと違う側面も見えてきました。
どうやら「自分の愛情」というものは、自分が想像していた以上に
早く消滅してしまう…
ようです。
つくり出さないと「意味がない」というより、
つくり出さないと「消えてしまう」ということが大問題なのかもしれません。
だから、「意識して、せっせと自分で『新しい愛情』をつくり出さないといけない…」とアラン先生は言っておられるのかもしれません。
毎日毎日、愛情が消滅しないように、どんどんつくり出した矢先に「本物の愛」があるのだと思います。
こんな風に考えるとです。
この世の中に、同じように考えてくれる人間が、一体、どれぐらいいるのやろう?
と…素朴に思ってしまいます。はい。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第2章 自分自身について」
「No.056 本物の感情は自分でつくりだす」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 「一目惚れ」や「直感」はきっかけにすぎないのです。
- 「本物の愛」は自然にあるものではなく、自分の手でつくりだすものです。
- 自分の愛情は思った以上に早く消滅します。
- だから、毎日、一生懸命に「愛情」をつくり出してください。
ふくカエル
ふくネコ
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。