【人生について】突然、不幸に襲われたら、決意すること
こんにちは!ふくカエルです。
【お伝えしたいこと】
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
突然襲いかかってくる!
不幸というものは、ある日突然襲いかかってきます。
ふくカエル
ふくネコ
ある日、突然襲いかかってきた!
と思ったら
容赦なく追い込まれます…なっ、なんやねん!
あまりにも突然すぎるので逃げることもできず、おっ、恐ろしい現実を淡々と突きつけられるのです。
そやけど、こんなとき、
どうしたらええのですか?
こうしたらええのです!
これです!
死ぬか、精いっぱい生きるか
どうにも避けられないことに肩をつかまれた時点で、人はもう捕らえられている。そうなれば、死ぬか、さもなければ精いっぱい生きるほかないのである。
アラン「幸福論」より引用
死ぬか、精いっぱい生きるか、どちらかを決意する
ことです。
ぜひとも、この決意を!
これを読んでくださっている
ありがたいお方は
ぜひとも
次のようなご決意を
お願いいたします!
精いっぱい生きる
あれやこれやと考えてパニックになるのではなく、
ここは腹をくくって「こうなったら、精いっぱい生きてやる!」とはっきりと意志を決めてほしいのです。
たしかに、遅かれ早かれいずれ死にます。
けれども、何もせずにただ死ぬよりも
死に物狂いで必死に抵抗して生き抜くほうが、価値があるような気がするのです。
人間として生まれたからには、この選択が正解のような気がします。はい。
なぜ、決意しないとダメなのかな?
じゃないと、間違いなく潰されるから
「精いっぱい生きるのだ!」とはっきりと決意しないと、突然の不幸に間違いなく潰されるからです。
とにかく、えげつないから
それほど、突然の不幸が与えるダメージはえげつないからです。
ふくカエル
ふくネコ
たとえば、
- 突然の大きな病気や怪我
- 突然の死別
- 突然の事故や災害
といった突然の不幸がもたらすダメージは相当なものです。
誰もが奈落の底に落とされ、二度と這い上がれないほどの肉体的なダメージや精神的なダメージを受けます。
言うたら
これくらいのダメージをくらうねん…ほんまに、生半可な気持ちでいたら
潰されるねんで…
というわけで、本当に怖いのでちゃんと決意しないといけません。
もう決意するしかないから
それにです。
突然、あっという間に襲いかかられるので、一刻の猶予も許されず、もう決意するしかないからです。
ハッキリ言うとこんな感じ…
死ぬか、生きるかの瀬戸際やねん。
こんなときに、「どちらか迷うわぁ?」なんてこと悠長なことできません。
じゃあ、どうすればいいのかな?
自分の生きる本能に従う
突然の不幸に襲いかかられたら、まずは自分の生きる本能に素直に従います。
ふくカエル
ふくネコ
なぜなら、この本能は、
わたし達の祖先が「過酷な環境」を懸命に生き残るために必要な本能だったからです。
ふくカエル
ふくネコ
ご先祖さん
ほんま、ありがとおうな!
自分の強さを信じる
次に、突然不幸に襲いかかられても、自分には耐えられるだけの強さが必ず備わっていると固く信じます。
ふくカエル
ふくネコ
固く自分を信じることが
ほんまに大事!
決意したら、具体的にどうするの?
こうなったら、精いっぱい生きてやるで!
とはっきりと決意したら、次のように行動します。
死ぬ気で頑張る
もう、死ぬ気で頑張ります。
世間体とか一切気にせず、死に物狂いで頑張ります。
「精いっぱい生きる決意」を
促しといて
なんか矛盾してるけど…そうやねん!
本当に死んだら本末転倒ですが、
自分のありったけの力を振り絞って、死に物狂いで「この難局を生き抜くこと」を頑張ります。
たしかに、突然のつらい不幸に「これじゃ、死んだ方がマシや!」と思わず考えてしまうこともあります。
このときばかりは、
普段は非常に恐れている「死」でさえも、甘い香りを放つ「魅惑的なもの」に見えてしまいます。
ほんまに非常に危ない状況です。
ふくカエル
ふくネコ
ほんまにへこたれたで…
でもです。このような状況は何としても打破しないとダメです。
このままずるずると襲われっぱなしになると、生気をどんどん吸われて「おだぶつ」になります。
せやから、何が何でも「こうなりゃ、精いっぱい生きてやる!」と決意しなアカンのです。
そやけど、頭では分かっていても、
身体が重くてうまく動けないのです。
そんなときにウチが実践したのが、
これです!
いずれは、ウチも、どうせ死ぬやん?
そやったら…やで、
その前に
死ぬ気で頑張っても、ええのとちゃう?
それからでも遅くないのと、ちゃう?
それにな、死ぬのってほんまに怖いし、勇気がいることねんで?
ほんまに死ねる?
そもそもやで、ウチにそんな根性ないやん?
仮にやで、死ねる勇気じゃ、エネルギーじゃがあるとしたらやで、
それを生きることに使った方がええのと、ちゃう?
です。
(ざっと要約するとこんな感じ)
(これをひたすらブツブツ言ってました…)
この言葉は、ウチにとって魔法の言葉です。心が弱くなるのを抑えられます。
何と言っても
こんな奴らの餌食にならずに
すむのがええです。
そうすると、どうなるのかな?
自分の本能に感動する
そうなれば、死ぬか、さもなければ精いっぱい生きるほかないのである。たいていの人は後者を選ぶ決意をする。生きる本能は、実によくできているのだ。
まず、自分の本能に感動します。
突然の不幸に屈せず、精いっぱい生きる選択を決意できた自分に感動します。
確信できる
自分の不幸に耐えられるだけの強さが、わたしたちにはかならず備わっている。
次に、
- 乗り越えられない壁は与えられないこと
- 耐えられるだけの強さが必ず自分に備わっていること
などを確信できます。
生きているだけでも、すごいことに気づく
そして、突然の不幸に負けずに「精いっぱい生きる」ことを決意し、
必死に生きることに専念すると、
ただ生きているだけでも
ものすごい価値がある
ことに気づきます。
同じ本をお持ちの方へ
ちなみに・・・・
同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ
「第3章 人生について」
「No.80 死ぬか、精いっぱい生きるか」
になっています。
お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。
ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。
それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。
まとめてみたkerokero
- 突然の不幸に襲われたら、死ぬか、生きるかの決意をすることです。
- 決意しないと突然の不幸に間違いなくつぶされるからです。
- 具体的には、自分に備わっている生きる本能に従い、自分には生き抜く強さがあると信じます。そして、死に物狂いで頑張ります(?)。
- そうすると、自分の本能に感動し、生きているだけでもすごい価値があることに気づけます。
突然に襲いかかってくる不幸は、本当にダメージが大きいです。
ふくカエル
こりゃアカン!と思ったら、
「精いっぱい生きてやる!」と早々に決意して、不幸との臨戦態勢に入るのが賢いと思います。
ちゃんと決意できると、自分の心のコアな部分が非常にがっしりしてきます。
ふくネコ
嘘とちゃうで!
(たまに本当の事を言うねんで)
いつも嘘ついとるんか~~~い
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。