幸せになるために、当然しなければならないこと
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第7章 幸福について」
「No.196 自分の幸せを願い、自分でつくりだす」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
自分の幸せを願い、自分でつくり出す
ただ、これ以上ないほどはっきりしているわたしたちの義務は、自分から負けたと思う前に全力で戦うことである。
アラン先生「幸福論」より引用
幸せになるのは、権利なのか?義務なのか?
幸せになるのは
- 権利?
- 義務?
どっちなのでしょうか?
あたしには
幸せになる権利があるねんから!
そやから、
これをしてもらって当然や!
という言葉を聞くことはあっても、
あたしには
幸せになる義務があるねんから!
そやから、
これを自分でするのが当然や!
という言葉を聞くことはないです。
カエル風アラン先生の言葉
アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
そうやねんなあ。
あんまり言わへんけどな。
幸せになるのは権利でもあるけど
義務でもあるねん。
幸せになるには
当然しなアカンことも
出てくるねん。
みんな気づいてないけどな。
当然しなければならないこととは、これ!
これです!
幸せになるために、当然しなければならない義務とはこれです!
自分から負けたと思う前に
全力で戦うこと!
です。
つまり、幸せに関しては、自分から敗北宣言をしてはいけないのです。
自分のエネルギー回復のための一時後退や休憩は許されても、負けることは許されないのです。
幸せに関しては、全力で戦うのみなのです。
なぜ、全力で戦わないとダメなのかな?
負けたと思うと、本当に負けるから
まず、人は負けたと思うと本当にすぐに負けるからです。
ふくカエル
たいていの人は、自分から限界を設けると、本当にそれ以上力を発揮できなくなります。
ふくネコ
不幸になるのは、簡単だから
次に、不幸になるのはとても簡単だからです。
- いつでも
- どこでも
- 誰でも
すぐに不幸になれます。
戦うことを止めて、じっと座っていればいいのです。そのうち必ず不幸になります。
じっと座っていると、そのうち死ぬほど退屈になってくるからです。
退屈は、人から不安や後悔を引き出し、人を腐らせます。
どんどん憂うつになり不機嫌になっていくのです。
不機嫌になれば、不幸になるのも時間の問題です。
ふくネコ
階段から転げ落ちるように
不幸になる。
幸せになるのは、難しいから
それに引き換え、幸せになるのはとても難しいからです。
目の前に立ちふさがる壁をどんどん乗り越えていかなければなりません。
じゃあ、具体的にどう戦えばいいのかな?
自分から負けたと思わないこと
まずは、自分から負けたと絶対に思わないことです。
幸せに関しては、負けを認めると実力を発揮できません。
覚悟する
次に、何が何でも全力で戦う覚悟を決めます。
自分の幸せをつくり出すには、
- たくさんのできごと(災難や障害)
- たくさんの人とのかかわりあい(人間関係)
と対峙しなければならないことを自覚します。
ハッキリ言うと・・・
負ける場合もあります。
ふくカエル
ふくネコ
なぜなら、自分の力ではどうしようもできないできごとも起こるからです。
たとえば、
世界的な大恐慌や戦争
地震や台風などの自然災害
などは、どんなに必死になっても太刀打ちできません。
それでも、
- 自分から負けたと思わないこと
- 全力で戦う覚悟決めること
この二つが非常に大事になるのです。
願望を持つこと
また、大事なことは、「いづれは、絶対に、自分は幸せをつくり出すことができる」という願望を持つことです。
願望や希望などの「望み」は、人を突き動かす力を生みます。
「将来、必ず幸せをつくり出せる」という明るい見込みがあると、
人は自分から前向きに決断できるし、行動にうつせるからです。
たとえばです。試験勉強です。
合格できる見込みがあると、がぜんやる気が出て勉強がはかどります。
たとえば、告白です。
相手に望みがあると、ちょっと勇気を出して、頑張って見ようか!と思えます。はい。
そうすると、どんなことに気づくのかな?
権利だけでは、幸せになれない!
まず、権利だけでは、いつまでたっても幸せになれないことに気づきます。
権利を主張し、ただあぐらをかくだけでは、必ず不幸になるからです。
義務を果たしてからの、権利!
次に、幸せの権利とは、義務を果たしてからの権利であることに気づきます。
- 果たさなければならない義務がある!
- そのために全力で戦う覚悟を決める!
などの自覚がなければ、幸せをつくり出せないからです。
願望がなければ、幸せになれないこと
そして、願望がなければ、幸せになれないことに気づきます。
全力で戦うためには、
「将来、絶対に、自分は幸せをつくり出すことができる!」という願望が重要になってくるからです。
まとめてみたkerokero
- 幸せになるためにしなければならない当然のこととは、自分から負けたと思う前に全力で戦うことです。
- また、全力で戦う気力を強くするために、自分の幸せを願うことです。
- 幸せの権利は、義務を果たしてからの権利なのです。
やっぱり、「自分は幸せになる、当然の権利があるんや!」と言って、
のほほんとあぐらをかいてたら、アカンということです。
自分から幸せをつくり出すための「当然の義務」を果たさなアカンのです。
幸せに関しては、ちゃんと「義務」を果たしてからの「権利」なのだと思います。
なんの努力もしないで、
幸せにさせてくれ!
おねがいや神さま!
と願うばかりじゃ、
お前はあほか?
義務を果たさんやつには、
幸せなんかやらんぞ!
と言っていると思います。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。