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「幸福論」幸せを感じる場所とは?

eye catching

幸せを感じる場所とは?

 

こんにちは!ふくカエルです。

 

 

【お伝えしたいこと】

この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。

 

中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。

 

そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。

 

もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!musimegane_girl

という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。

アイキャッチ画像11 アランの「幸福論」について

 

「幸福論」他については
こちらです!

幸せを感じたい!

 

いろいろと日々の暮らしに忙殺されると、どんどん気持ちが殺伐としてきます…

 

毎日がこんなことしてい
isogashii_manどんどん気持ちが
ぱっさぱっさになるねん…

 

気持が疲れてしまって、

 

あ~!
幸せを感じたい!butsuyoku_man

と、思わずつぶやいてしまった「あなた」に、

 

ぜひとも思い出してほしい「場所」があります!

 

それは、幸せを簡単に感じることができる場所です!

幸せを感じる場所とは、ずばりここです!

ここです!

 

窓の外の風景をながめる

列車の中のほど幸せを感じるところはない。急行列車ならとくにそうである。すばらしい風景アルバムが、次々とページをめくるように広がる。

アラン「幸福論」より引用

 

電車の中!shinkansen_e5_hayabusa

です。

 

電車の中でっか?
bikkuri_me_tobideru_manでぇっ!
なんでやの?

なぜ、電車の中のなのかな?

独特なリラックス効果があるから

 

まず、電車の中には独特なリラックス効果があるからです。

 

どんどん気持ちが落ち着いてきます。

 

それにこの効果は、実際に電車に乗れば、誰でも体験することができるものです。

 

たとえば、

  • 電車の車輪が紡ぎ出す独特な音やリズム(ガタンゴトン)によって得られるリラックス効果
  • 電車の車両の独特な揺れで得られるリラックス効果

です。

 

ふくカエル

大きなあくびが出て、なんか眠くなったりするんだよね…

ふくネコ

このような眠気には、幸せを感じるよね…

素晴らしい風景を眺めることができるから

 

次に、電車の中から、素晴らしい風景を眺めることができるからです。

 

電車の窓のそばに座って外を眺めるだけ、目の前に素晴らしい景色が次から次へと流れていきます。

bg_hatake

  • 季節
  • 時間
  • 天気

ごとに刻々と変化する様は、ほんとうに素晴らしいものです。

 

もちろん、

  • 遠くを見ることで得られるリラックス効果

も期待できます。

 

遠くを見ることで目の緊張がほぐれます。

 

目の緊張がほぐれば、身体全体の緊張もまたほぐれます。

 

身体全体の緊張がほぐれば、精神的にもリラックスできます。

 

ふくカエル

ものごっついリラックス効果やねん。

 

ちなみに、「遠くに目をやることで得られる効果」について考えてみました。

気になる方はご覧ください。

幸福論アイキャッチ1 「幸福論」【不安と感情】気分が落ち込んでいるときに、すること。

幸福論アイキャッチ1 「幸福論」【不安と感情】本当にしんどいときに、するといいこと。

幸福論アイキャッチ1 「幸福論」【不安と感情】内向きになる意識を外すために、すること。

ものすごく感動できるから

 

そして、電車からの風景の中にあるある真実に気づき、ものすごく感動できるからです。

ある真実とは、これ!

二度と眺められない

 

まず、どの風景ももう二度と同じ風景を眺めることはできないという真実です。

 

自分の目の前に過ぎ去った風景は、時間と共に過ぎ去ってしまうものでもあり、その瞬間にしか存在できないからです。

どんなに同じように見える風景であっても、

  • その風景を構成するもの
  • その風景を見る自分

は刻々と変化しているので全く同じではないのです。

 

今まさに途絶えてしまった生命もあるだろうし、

 

この瞬間に誕生した新しい生命もきっとあるに違いないです。

 

それにです。自分の肉体さえも刻々と変化してます。

 

なので、全く同じ状態の風景を眺めることなんてありえないのです。

一生に一度の出会い

 

なので、目の前に流れる風景のひとつひとつが一生に一度の出会いになるという真実です。

 

ふくカエル

一期一会やねん。

奇跡の連続

 

つまるところ、目の前に流れる風景は「奇跡の連続」であるという真実です。

 

ふくカエル

次から次へと奇跡を眺めることできることは、

ふくネコ

めっさ贅沢なことやねん。

なので、電車に乗ったらして欲しいことは、これ!

 

なので、電車に乗る機会があったら、是非ともして欲しいことがあります!

奇跡や偶然を意識する

 

まず、自分の目の前に流れる風景を見て、その奇跡や偶然を実感して欲しいです。

大げさかもしれないけど、奇跡の風景偶然見られるという感動をして欲しいのです。

 


旅行先の電車ならともかく
たしかに、
通勤電車では
無理かもしれへんけど…shinpai_man

 

 

でも、
やろうと思えばやれるで!ranger_black
なにも、
大げさに感動せんでもええねん。

 

感動しても自分の中で
しまっといたら
ええねん。

目に見えないものを見る

 

次に、直接的には目に見えないものを見て、感じて欲しいです。

 

たとえば、

  • 風景に溶け込んでいるあらゆるものの存在
  • 降り注ぐ光、風、空気
  • 刻々と変化する自分の肉体

などです。

静かに流れる風景であっても、その中では、実にたくさんの変化が起きていることを感じて欲しいのです。はい。

 

あらゆる奇跡や偶然を想像して、感じて欲しいです。

ぼおっとする

 

さらに、いろいろなことを感じながら、ぼおっとして欲しいです。

hikouki_gumo

ぼおっとすることで、くつろぎを感じて、

徐々に自分の心が休まり安定するのをじっと待って欲しいのです。

そうすると、「さらに」どうなるのかな?

あらゆるものに感謝できる

 

奇跡や偶然に触れて感動することで、あらゆるものに感謝する気持ちになれます。

ある意味、電車というものは、

 

このような奇跡や偶然を思い出させてくれるありがたい存在なのかもしれません。

スピードを感じることができる

 

また、季節や時間、天気ごとに変わる風景を眺めることで、自然がおりなすスピードを感じとることができます。

たとえば、自分を含め「生きとし生けるもの」人生のスピードです。

視野を自然に広くできる

 

さらに、自分の視野を自然に広くすることができます。

 

どうしても生活していると、近くのものごとばかり見てしまうので、何かと視野が狭くなります。

 

でも、電車に乗れば、遠くの風景を眺めることができるので、自然と視野が広くなるのです。

柔軟な発想とひらめきにつながる

 

そして、柔軟な発想とひらめきにつながります。

 

リラックス効果や視野が広くなることで、自分の中にも変化が出てくるからだと思います。

 

ふくカエル

疲れてガチガチの脳みそを

ふくネコ

柔らかくしてくれるねん。

 

ほんで、


なんか知らんけど
ビビッと感じて
新しいアイデアや考え方が

ぽっと頭に浮かぶねん!

kanden_gaikotsu

 

ふくカエル

これはほんまにラッキーです。はい。

ふくネコ

これを幸せと呼ばずして、何と呼ぼう!

電車の窓の外に流れる風景は、「新しいアイデアをくれる宝石がじゃんじゃん入った宝箱」です。

 

なので、何か考えに行き詰ったときに、ぜひとも活用してほしいです。

 

このことを知っている人は意外と少ないのでは?と思ったり…してます。

 

たしかにネットから得られる情報にはかなわないですが…

 

自分の引き出しから生まれてくる独自のアイデアもまたいいものです。

 

ふくカエル

けっして鉄道会社の回し者じゃないです。

ふくネコ

でもダマされたと思ってやってみて。

ふくカエル

ほんまに意外な効果に驚くから!

同じ本をお持ちの方へ

ちなみに・・・・

 

同じ本(アラン「幸福論」出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)をお持ちの方へ

 

「第3章 人生について」

「No.76 窓の外の風景をながめる」

になっています。

 

お持ちの本とあわせて、ご覧いただけると本当に嬉しいです。

 

ご自分のお立場で考えてみると、また違った「オリジナルな考え方」を発見できると思うのです。

 

それはもう、キラキラ光って
こういうことか!
と納得できると思います。

 

アイキャッチ画像11 アランの「幸福論」について

まとめてみたkerokero

 

  • 幸せを感じる場所とは、電車の中です。
  • 電車の窓の外に流れる風景を眺めることで幸せを感じることができます。
  • 刻一刻と変化する風景を眺めることで、万物は刻々と変化し、二度と同じものには遭遇できない偶然と奇跡を感じることができるからです。

 

わたしも電車通学、そして電車通勤でした。

 

毎日、当然のように同じ風景を見ていたわけですが、ある日「同じ風景でも全く同じじゃない!」ことに気づいてから、

 

毎日見ている風景の中には、

いろいろな人が存在していて、その人の「人生」が流れている

ことをちゃんと意識するようになりました。

 

大きな災害を何度も経験すると、

 

今わたしが見ている風景に存在しているすべてのものを愛おしく思いますし、

 

愛おしさを感じることができる自分が生きているありがたさに感謝できています。

 

ほんとに何気ない風景ですが、生きている自分がいるからこそ眺めることができるという奇跡や偶然に感動してます。

たかが電車ですが、されど電車なのです。

 

ふくカエル

しつこいようですが、

ふくネコ

鉄道会社の回し者じゃないです。

 

非常に感慨深いものがあるのです。

fukuneko

ふくカエルでした。

なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。