目次
幸せを感じる場所とは?
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第3章 人生について」
「No.76 窓の外の風景をながめる」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
窓の外の風景をながめる
列車の中のほど幸せを感じるところはない。急行列車ならとくにそうである。すばらしい風景アルバムが、次々とページをめくるように広がる。
アラン先生「幸福論」より引用
幸せを感じる場所?
あなたは幸せを感じる場所がありますか?
幸せを感じることができる場所を改めて考えてみると、なかなかないことに気づきます。
ないのよね~!
カエル風アラン先生の言葉
幸せを感じる場所について悩んでいるときに、アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
幸せを感じる場所に
悩んでいるのかい?
あるぞ!
簡単に感じることが
できる場所だ。
誰でもすぐに行けるぞ。
場所とは、ここ!
幸せを感じる場所とは!
電車の中
です。
なぜ、電車の中なのかな?
窓から風景が見られるから
電車に乗ると、窓から風景が見られるからです。
なぜ、風景が幸せを感じさせるのかな?
素晴らしい風景を見ることができるから
まず、季節や天気と共に刻々と変わる素晴らしい風景を見ることができるからです。
そして次から次からと流れるように風景が変わっていくからです。
同じものは、二度と眺められないから
次に、電車の窓の外に流れる風景はもう二度と眺めることができないからです。
ふくカエル
なぜなら、同じ時間、同じ場所に存在することは不可能だからです。
- 風景に溶け込んでいるあらゆるものの存在
- 降り注ぐ光、風、空気
- 刻々と変化する自分の肉体
など、全く同じ条件や環境の「組み合わせ」は二度とないのです。
ひょっとしたら、次の瞬間に消滅しているものや息絶えているものがあるかもしれません。
そして、奇跡だから
そして、電車の窓の外に流れる風景はすべてが奇跡だからです。
たしかに何気ない風景ですが、自分が生きているからこそ眺めることができるものなのです。
ふくネコ
自分が生きていることに感謝できます。
もっと幸せを感じるには、どうすればいいのかな?
同じものはないと意識する
電車の窓の外に流れる風景は、二度と同じものないことを意識して眺めます。
- 風景に溶け込んでいるあらゆるものの存在
- 降り注ぐ光、風、空気
- 刻々と変化する自分の肉体
など、全く変化していないように見えて、その実たくさんのことが変化していることを理解します。
自分が生きて存在していること、自分以外のあらゆるものが消滅せず、生存していることを意識し、奇跡や偶然を感じます。
そうすると、どうなるのかな?
あらゆるものに感謝できる
まず、電車の窓の外に流れる風景をながめることで、あらゆるものに感謝できるようになります。
同じものにはもう二度と出会えないことに気づき、出会えた奇跡や偶然を感じることができます。
人生のスピードを感じる
次に、電車の窓の外に流れる風景に、人生そのもののスピードを感じ取ります。
ひらめきが生まれる
また、電車の窓に流れる風景を眺めているとひらめきが生まれることがあります。
新しいアイデアや考え方がぽっと頭に浮かびあがるのです。
ふくカエル
普段の暮らしの中で、近くばかりを見る視点を、
電車に乗ることで、遠くの風景を見る視点に変えることで、考え方にも変化が出てくるからだと思います。
窓の景色は宝石やねん。
どんなに同じようなものを作ろうとしても作れないです。
すべてが偶然の産物なのです。
それが自然なのです。
窓からの流れる景色は程度なリラックス効果をもたらします。
新しいアイデアが生まれてくることが多いです。
このことに気づいている人は意外に少ないです。
スマホもいいけど、何がに悩んでいるときは、この窓からの流れる景色を見るのもお勧めです。
ふくカエル
ふくネコ
まとめてみたkerokero
- 幸せを感じる場所とは、電車の窓の外に流れる風景を眺めることです。
- 刻一刻と変化する風景を眺めることで、万物は刻々と変化し、二度と同じものには遭遇できない偶然と奇跡を感じることができます。
- また、人生のスピードを体現することができます。
わたしも電車通学、そして電車通勤でした。
毎日同じ風景を見ていたわけですが、ある日「同じ風景でも全く同じじゃない!」ことに気づいてから、
毎日見ている風景の中には、いろいろな人が存在していて、その人の「人生」が流れていることをちゃんと意識するようになりました。
大きな災害を何度も経験すると、
今わたしが見ている風景に存在しているすべてのものを愛おしく思いますし、
愛おしさを感じることができる自分が生きているありがたさに感謝できます。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。