喜びを呼び込むための「合図」とは、これです
こんにちは!ふくカエルです(Twitterアカウント:ふくカエル)。
ご訪問いただきましてありがとうございます!
アラン先生の「幸福論」を勉強しています。
今回の勉強のテーマは、
「第7章 幸福について」
「No.179 笑って楽しむ」
この記事は、あくまでもわたしの個人的な解釈に基づくものです。
中には、「これ違うんじゃないの?」という箇所もあるかと思います。
そのような場合は、温かい目でお見逃しくださいますよう、よろしくお願いします。
もっと、きちんと
くわしく理解したいぞ~~~!
という方には、下記の書籍をご覧いただけるとありがたいです。
笑って楽しむ
幸せだから笑うのではない。わたしに言わせれば反対で、笑っているから幸せなのだ。食べて楽しむのと同じように、笑って楽しんでいるのである。
アラン先生「幸福論」より引用
「合図」すると早く呼び込めるそうな!
どうやらあることをすると、喜び(幸せを感じること)を呼び込むことができるそうな!
どうやら、アラン先生が言うには
「合図」のようなもの
らしいねん?
知りたい?
カエル風アラン先生の言葉
アラン先生がいてくれたら、
こんな風に言ってくれたかもしれない!
と、いろいろと想像してみました。
喜ぶ(幸せを感じる)ために、
最初に「合図」を出さな、あかんねん。
「合図」を出したら、
喜びがその「合図」に気づいて、
寄ってくるねん。
そやけどな、みんな、この「合図」を
よ~く忘れているねん。
「合図」せんと、
歯を食いしばってばっかりや。
最初は、
誰でもつらい状況から始まるからな。
しゃ~ないねんけどな。
必要な「合図」とは、これ!
これです!
まずは、笑って楽しむこと
です。
喜び(幸せを感じること)を呼び込むためには、自分から笑って楽しんでいる「合図」を出すことが大事なのです。
ちなみに、合図とは、ものごとを伝えるときに、あらかじめ取り決めておいた言葉以外の共通の手段のことです。
たとえば、
「のろし」
とか、
「スターターピストルの音」とかになります。
ここでは、喜び(幸せを感じる)を呼び起こすときに発揮する、言葉以外の共通の手段が、
笑って楽しむこと
になるのです。
なぜ、喜ぶよりも先に「笑って楽しむ」のかな?
喜びを認めるまで暇がかかるから
実は、人は、喜び(幸せを感じる)を認めるまで暇がかかるからです。
人は、自分の喜びにはちょっとした「こだわり」があります。
つまり、
- うれしいと思う
- 気分がよくなる
- 楽しくて心地よい気持ちになる
など、ある程度のしっかりとした実感がなければ、人は喜び(幸せを感じる)を認めないのです。
これっぽっちの楽しさでは
あーた、
幸せとは言えんやろう?
と思っちゃうのです。
ふくカエル
ふくネコ
活路を見いだせるから
次に、「笑って楽しむ」ことで、現実的な活路(窮地から逃れる道)を見いだせるからです。
ふくカエル
どんなに絶望的な状況でも、「笑って楽しむ」こと心がければ、次のステップにつながります。
何もなくても、喜びにつながるから
それにです。
「笑って楽しむ」ことができたら、どんなに喜び(幸せを感じる)とは無縁の状況にあったとしても、喜びにつながるからです。
つまりです。
人は、幸せでなくても「笑って楽しむ」ことができ、
「笑って楽しむ」ことで、
いずれは「本当の幸せ」をつくり出すことができるのです。
別に幸せじゃなくても、笑ってもいいと思うのです。
- 「幸せやから、笑える」
- 「不幸せやから、笑えない」
という法則はどこにもないです。
幸せでも不幸せでも笑えってもいいし、
むしろ、
- 「笑うことで、幸せはさらに質が高くなる」
- 「不幸せは幸せに変化していく」
だと思います。はい。
たとえば、赤ちゃんの頃
たしかに「何もない状況、さらには悲劇的な状況であっても、いずれは喜びにつながる」ことをすぐには納得できません。
悲劇が、笑うことで、
喜びに変わるのかい?
となります。
でもです。これは、自分が赤ちゃんであった頃を想像すると、意外と納得できるのです。
そっ、そうやったなあ!となるねん。
なぜならです。
それは、自分が赤ちゃんだった頃は、
笑うことで、
ぼくは幸せになったるで!
どや、どや、どないや?
「な~んて思いながら、笑っていたハズがない!」からです。
そんな訳ないやろう?
第一な、
赤ちゃんは言葉を知らへんしな。
それに、もし、赤ちゃんが幸せになろうとする策略や魂胆があったとしたら、ほんまにのけぞってしまいます。
そんな赤ちゃんがおったら、
目の玉が飛び出すでぇ。
このことですが、どんなに偉くなっている人でも、同じことが言えます。
こんな人でも、同じやで。ぼくな、
レオナルド・ダ・ヴィンチ君やで。
どんなに頭が良い人でも、赤ちゃんのときは、訳も分からず「にこにこ笑っていた」に違いありません。はい。
ふくカエル
ふくネコ
赤ちゃんは、このように意味なく笑って楽しんでいるうちに、
いろいろな人間の導きにより、幸せになっていきます。
このことは大人になっても同じです。
今、幸せでなくても、何もなくても、笑って楽しむことに専念すれば、
そのうち、明るい未来(活路)を見い出すことができ、さらには「幸せの意味」を理解でき、幸せをつくり出すことができます。
本当に楽しくなるから
また、先に「笑って楽しむ」ことで、本当に楽しくなるからです。
そんなはずないやん?
ばかとちゃう?
こんなに悲しいねんで
と思っている人でも、
果敢に「笑って楽しむ」ように工夫をすれば、必ず楽しくなります。
たとえばです。
実際に声を出して「笑って楽しむ」すると、身体の調子がよくなってきます。
ふくカエル
ふくネコ
体調がよくなってくると、気持ちにもゆとりが増えて、どんどん感情も上向きになってくるのです。
こうなれば、楽しさを実感できるのも間近です。
ふくカエル
「幸福論」【不安と感情】不安や恐怖で身体が動かなくなったときに、気づいて欲しいこと。
「幸福論」【不安や感情】自分の身体の役割を知ると、身体に対する考えが変わるよ。
「幸福論」【不安と感情】嫌な感情(気持ち)に困ったら、すること。
気分的に楽だから
それに、「笑って楽しむ「」ことは気分的に楽だからです。
ぼくは、しあわせになるんや!
それまで必死に頑張るんや!
と歯を食いしばって努力するのもいいのですが、これでは、人生そのものがの我慢連続になり、ぜんぜん面白くなくなります。
ふくカエル
歯を食いしばって我慢するよりも、
我慢を「新たな挑戦だ!」と考え直して、「笑って楽しむ」ほうが気分的に楽になのです。
じゃあ、具体的にどうすればいいのかな?
まずは、今を笑って楽しむ
まずは、今この瞬間を笑って楽しみます。
まさに、この記事を読んでくださっているこの瞬間です!
はい!ほら!
笑って!
楽しんでちょうだい!
えっつ!できない?
こんなクソおもろない記事で
笑えるかよ?・・・でしたか。
ほんまにごめんよ、
ほんまに面白くない記事で…
この通り謝るっ!そやけど、
ムリして笑ってみて欲しいねん。
理由を求めない
次に、自分の「笑って楽しむ」ことに理由を求めないことです。
そもそも、笑いに意味を持たせる必要はありません。
ふくカエル
ふくネコ
嫌な状況を打破するために、まずは「笑って楽しむ」という合図を出しまくったほうが賢いのです。
数を打ちゃ、当たるの精神やで。
どんどん増やしていく
そして、「笑って楽しむ」ことを意識的にどんどん増やしていきます。
喜びなど何もないところから、喜びをつくり出すためには、
やはり最初に笑って楽しむというアクションが非常に役立つのです。
そうすると、どうなるのかな?
幸せを理解できる
しかしそれにはまず食べてみなくてはならない。このことは笑い以外にもあてはまる。考えていることを知るためには、まずことばが必要なのだ。
「笑って楽しむ」ことを自分のモノにできると、幸せそのものを理解することができます。
幸せは、後で実感するもの
まず、幸せは、後で実感するものであることです。
人は、幸せだから笑うのではなくて、
実際には、笑って楽しんでいる自分を実感した後から、幸せを感じることに気づきます。
笑って楽しむことを知らないと理解できないもの
次に、「幸せの本質」を理解するには、まず先に、
笑って楽しむこととは、
どんなことなのか?
をちゃんと理解できないと無理であるということです。
その人の「考え」を理解するには、共通言語である「言葉」を知らないとダメなように、
「幸せの本質」を理解するには、共通合図である「笑って楽しむことの本質」を知らないとダメなのです。
ふくカエル
幸せだから、
笑って楽しむことを知るのではないのです。
先に、笑って楽しむことを知っているから、
幸せなれるのです。
まとめてみたkerokero
- 喜びを呼び込むためには、笑って楽しむという合図を出すことです。
- 笑って楽しむことで活路を見い出せます。
- さらに、「幸せの本質」を知ることができます。
最後まで、読んでくださってありがとうございます。
またのお越しをお待ちしております。
ふくカエルでした。
なお、アラン先生の引用文は、齋藤慎子さん訳『幸福論』(出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン)によりました。